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人の脳みそにもぐり込む

最近、エッセイを読むのが好きで、よく読む。(といっても、年に1、2冊しか読まない。)
去年の夏に「だが、情熱はある」にどハマりし、オードリー若林の「ナナメの夕暮れ」を衝動買いした。で、数日前、ずっと気になっていた長濱ねるちゃんの「たゆたう」を買った。どちらも素直な言葉で綴られていて、とても心地よい本だった。どちらも読みながら面白い人だなぁと思った。

昔から本を読むのは苦手で、小説に関して文面が気に食わないと頭に入ってこなかった。(その中でも、瀬尾まいこさんと瀧羽麻子さんは大好き。)浮世離れした話はもちろん入って来ないし、現実世界によくある話でも、自分の身辺にかすってない話は全く興味がない。サスペンスは別だけど。
そんな私がすんなり読み進められたのがエッセイだった。

元々SNSでコミックエッセイを読むのが好きで、#漫画が読めるハッシュタグ、なんかはゴロゴロおすすめに転がっている。人の体験談とか、経験値を知るのが多分好きなんだろう。ノンフィクション!とか言われると弱いタイプで、すぐに興味を持ってしまう。

多分そういうところもあって、「だが、情熱はある」にもすごくハマったんだと思う。

ちょうど、自分の中の「普通」がわからなくなった時期でもあって、他の人の「普通」ってなんだろう、私の考え方は、世間のどこら辺をぷかぷか浮いているんだろうと思っていた。
だから、毎日見ない日はない2人の芸人の、若かりし頃から現在までの、表じゃない顔(裏の顔、と言うのは聞こえが悪い)が赤裸々に描かれたドラマはとても新鮮で、なんだか嬉しいものだった。

特にオードリー若林の、生きづらそう感?反骨精神?と、なのに芸能界という華々しい世界で生きている現実のギャップに興味が湧き、エッセイを手に取った。必死に生きているなぁと言ってしまえばなんだか上から目線になってしまうし、いろんな人が世の中にはいるんだなぁと思えば、煎じに煎じられた言葉になってしまう。ただ、もがきながら生きている様子や、その性格と(きっと)上手く付き合っている様子が、なんだかいいなぁと思った。


人の考え方や思うところにどっぷりと浸かることが心地いい。誰にも止められず、自由に言葉を並べてくれているところに、誰にも止められず、気持ちよくダイブできる。エッセイにはそういう良さがあると思う。

最近はSNSが発達しすぎて心がしんどくなる。何かを発信すれば、それに対してコンマ何秒で反応できる世界では、迂闊に考えを伝えられないし、受け取ることもできない。ただ、活字が並んだ手に収まるサイズしかないこの本には、自由がある。良いも悪いも言葉にできて、良いも悪いも好きに解釈できる。閉ざされた空間で好きなもの同士わちゃわちゃと考えを巡らせられることが本当に心地いい。(「たゆたう」のラジオの件には首がもげるほど頷いた。そんな繊細だけど強い彼女は『乗り遅れたバス』をどんな気持ちで歌っていたんだろう、と、リリースされた時も思ったし、「たゆたう」を読んでからも思った。)


なんて、結局のところ感想なんかをSNSであるこの場にアップしてしまうところが矛盾している気がして少し凹む。ただ、2作品、お二方へのリスペクトを込めて、という言い訳をしてここらへんで終わろうと思う。


きっとまた新しい一冊を手に取るのは随分と先になりそうだ。


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