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アメリカと日本のコミックスクリエイターの「著作権」

“海外ではマンガ家個人(個人のプロダクションも含む)が作品の著作権を持つ例は、あまり多くありません。たとえばアメリカのマーベルやDCなどは、著作権は出版社にあるのが一般的です(例外はあります)”
(すがやみつる、https://x.com/msugaya/status/1790670566359486777?s=46&t=y1Fy0xxt8fO9v7ec2YFcBg)

マンガ家で研究者、教育者でもあるすがやみつる先生が上記のようなポストをX上でされていた。
尊敬するすがや先生の発言ではあるが、ちょっと誤解を招きそう(というかリプライや引用を見る限りすでに「日本マンガすごい論」的な解釈がなされている)だと感じたため、最初は同一プラットフォーム上でなんらかのリアクションをとろうかとも考えたのだが、どうせSNS上で反応してもフローとして流れていくだけでまともに読まれない。
少なくともアーカイブが残るnoteに改めて情報をまとめておくことにする。

「著作権」という用語

まず、日本でこういう話をする際に一番混乱しているのは「著作権」という言葉の使い方だと思う。

現行の著作権法において「著作権」とは「著作者人格権」と「著作財産権」という、かなり性質の異なる二つの権利を総合した概念である。
アメリカのcopyright lawはもともと「著作者人格権」の考え方を含まなかったため、この点の法制度における土壌が異なるのは確かだが、GATウルグアイラウンドにおいて当時のGAT加盟国に対し知的財産分野における市場開放を求めるため、アメリカ合衆国は国内法を整備し、国際著作権条約へも加盟したため、現在は「著作者人格権」も保護対象になっている。

たとえばマーベルやDCのスーパーヒーローコミックスを原作とする映画において、該当のキャラクターやタイトルのオリジナルクリエイターがクレジットされているのはその実例のひとつだ。

つまり、すがや先生の発言に反して、少なくとも現在のアメリカのコミック業界ではマーベルやDCのような大手コミックブック出版社においても、クリエイターは氏名表示権等の「著作者人格権」を持つし、出版社に対してこれを主張することができる。

いっぽうタイトルやキャラクターの出版権やメディア化、商品化の許認可権といった「著作財産権」は、たしかに大手二社では出版社が持つことが多いが、ではこうした事例が逆に日本にないかといえば、そんなことはないのだ。

まずゲームやアニメ、特撮、ドラマ等の他メディアをオリジナルとする作品はすべて「原著作者」(法人であることも多い)から許認可を受けてつくられた「二次的著作物」であるし(ガンダムやウルトラマン等のマンガ作品の存在を考えてみればいい)、「著作財産権」は「著作者人格権」と異なり貸与や譲渡が可能であるため、少なくともデビュー直後はたいていの作家が商品化やメディア化の許認可を出版社に委託している。

近年、マンガや小説のドラマ化やアニメ化のトラブルが報じられることが多いが、こうしたトラブルの原因のひとつはこのような契約によって出版社が作者と無関係にメディア化のハンドリングをしている点にある。

つまり、日本の出版社も多くの場合、作品の「著作財産権」を(すべてではないにしろ)所有している。

じつは一般に考えられているほどアメリカのスーパーヒーローコミックスと日本のマンガの「著作権」を巡る環境は、大きく違うわけではないのだ。

また、このような「著作財産権」の委託は作家側にもメリットがあってなされていることであり、私はそれが出版社による構造的な搾取であるといった主張をしたいわけではない。
デビュー直後の作家が作品のメディア化や商品化のハンドリングを直接おこなうほどの経済的、時間的余裕があるとはまず考えられないため、その部分を第三者に委託する必要ははっきりある。

アメリカのコミックス出版

次に「海外では」と簡単にいうが、マンガ出版に関する文化的、社会的状況は当然国によって異なっている。

たとえばマーベル、DCに代表されるコミックブック出版はたしかにアメリカにおける代表的なマンガ出版ラインのひとつだが、あくまで「ひとつ」に過ぎない。

アメリカ合衆国には、新聞連載のコミックストリップや描き下ろし単行本で刊行されるグラフィックノベル、ウェブ上で発表されるウェブコミックスがそれぞれコミックブックとは異なった市場、文化的位置づけを持って存在している。

コミックストリップやグラフィックノベルは作家性が強い作品が多く、「著作財産権」レベルも作家(のエージェント)が直接ハンドリングしているケースが多いが、古典的なキャラクターを使った作品などそうではないケースもあり、現在ではコミックブックもオリジナル作品が増え、amazon primeやNetflixなどで映像化されている作品にもオリジナル作品が多数ある。
ウェブコミックスはオリジナル作品が多いようだが、こちらにも古典的な作品を使った日本でいう「版権モノ」は存在している。

アメリカにもコミックスライターやコミックスアーティストを「作家」として扱う文化は存在するし、21世紀に入ってからその文化的地位は全体として上昇したといっていい。

各種動画配信プラットフォームでのコミックス作品の映像化が珍しくなくなった現在、むしろアメリカにおけるそれらの職種は日本以上に経済的成功の可能性を持った職業になりつつある。

こうしたローカルにおける文化的位置づけや産業構造の実態は、国や地域といった大きな主語を用いた比較論においては、きわめて乱暴に単純化され、興味を持たれることすら殆どない。

日本においてもマンガはマンガ雑誌/単行本モデルに限定されるものではなく、同人誌もあれば、ウェブマンガもある。
それらジャンルやマーケットにおける「作家」についての意識はそれぞれ異なるだろう。
その意味で「日本では」という話も相当に怪しい。

けっきょく日本やアメリカのマンガ文化の固有性や特殊性を主張するタイプの言説は、多くの場合、具体的な事例の検討を無視した結論ありきの印象批評なのではないか。

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