食事と生きること

最近、コテンラジオやascoopなどを手掛けている樋口聖典さんのpodcastにハマっています。
今聞いているのは、「ギチの完全人間ランド」と「愛の楽曲工房」。
樋口さんの思想がバンバン詰まってます。
その中で毎日ブログを更新してたという話があったので、今日から実践してみたいと思います。
日々の学びや気づきについて、書いていこうと思います。
※ただ、飽き性なので続けるためのシステム作りが必要そうです、、

今日感じたのは、「食事と生きることについて」。


朝、なんとなく花見がしたいなと思い、電車で代々木公園に向かいました。
電車内で激しい眩暈と頭痛に襲われ、「疲れか?コロナか?今日の仕事はいけるんか??」と不安に襲われました。
最近夜勤を始めたので、寝不足か自律神経の乱れだろうと思い、寝れないながらも目をつぶって吐き気をこらえていました。
とりあえず、目的地まで行って何か軽い食事をとりながら体力を回復しようと思い、原宿の飲食店に入りました。
ご飯を食べるとぐんぐん体調が回復していき、「あ、ただの空腹だったんか、、」と思いました。
人間、ご飯を食べないとしんどくて、やる気もでなくて、不幸になっていくんだと実感しました。

代々木公園で花見を終え、帰る途中、何やらデュアルディスプレイで動物の映像を流している人がいました。ヤギ、牛、イルカ、ニワトリ、豚、様々な動物が流れていたので、動物好きの私は足を止め映像を眺めていました。
しかし、なにやら動物の様子がおかしいです。
ヤギは撲殺。イルカの海は血まみれ。豚は解体され、ニワトリはつるし上げられています。
隣の男性が声をかけてきました。
「これが人間の生活の裏で起きていることなんです。」

彼は動物たちの実情を知り、ビーガンとして生活し始めた青年でした。
「動物にも生きたいと思う気持ちがあるのに、こんなに残酷なことが起きているなら少しでも助けたい」ということでこの活動を始めたようです。
話を聞くと、食品や革製品を作るための、水族館や動物園に入れるための狩りの映像を流しているとのことでした。
動画の内容は凄惨で、原宿という明るい街にはあまりにも不適切な映像でした。
※生きたままの動物が殺され、血が流れ、加工されている映像でした。
街行く人はこの映像を見ながら「グロっ」と言って立ち去る人ばかりでした。小さな子どもは足を止め見ようとしていましたが、お母さんがすぐ連れ去りました。
青年は私に一生懸命に動物たちの状況を伝えてくれました。
「私たちは野菜だけ食べて生きることもできるのに、どうしてこんなに動物たちの気持ちを考えないのかわからない」
彼のこの言葉と悲惨な映像が胸に残っています。

縄文時代、人間は狩りをしながら生活していました。
農耕が始まったのは弥生時代からだったと思います。
人間は根源的には肉も食べ、農作物も食べる雑食生物であると私は考えています。サラダよりお肉の方が好きな人が多いのも、縄文時代から続く遺伝的なものだとも考えています。
お肉を食べた幸せを噛みしめるのも人間の特権なのかなとも思っています。
なので、「ビーガンの生活をするべきである」という絶対的立場をとる青年に全肯定はできません。
ただ、今の自分たちの生活の裏で何が起こっているかを知ることは人として生きるうえでの責任であると感じました。

社会問題を解決するための起業家を育てるボーダレス代表の田口さんは「人々は不関与ではなく未認知」だとコテンラジオのゲスト会で話していました。社会問題に対して行動していない人は関与したくないわけでなく、実情を知らないだけであると私は解釈しています。
今回の原宿で出会った青年のおかげで、一つ課題を認知できたと思いました。食料廃棄や大量生産・大量消費問題の直接的なソリューションではないけれど、認知を広げる活動によって少しずつ解決の輪が広がるといいなと感じています。

樋口さんは「肉一切れを残すのはまだ許せるが、ちりめんじゃこ一匹残すことは許せない」とおっしゃっていました。
たくさんの命によって、自分が生活していることが分かれば感謝しながら生きる人間になれるでしょうか。この辺り考えてみたいです。


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