人のために仕事をしなくても、人のために何かをすることはできる
2024年2月6日
ふた仕事して、このテキストを書いている。
というか、そのときに感じたこと。
一年ぶりの大雪警報のあった2024年2月5日。
降りに降って、東京23区でも5〜10センチの積雪がありました。
朝起きて、一仕事した後(ブログの原稿のラフ)、雪が家の周りに残っていて、北側を向いた我が家の玄関に前に通っている私道は、どなたかが昨晩や朝方に人が歩けるスペースを雪かきしてくださっていたものの、自宅の玄関周りはやはり、雪かきせねばなるまいとガッツリ朝食を食べてから、雪かきにと挑むことにした。
スウェットボアパンツをヒートテックレギンスに履き替え、
長靴、ゴム手袋、ニット帽を被り、雪かきスコップを手にいざ、出動。
玄関前の私道は、残っている雪がすくなくさほど労力をかけず、ガレージに積み上げる。
私道に入る入り口の道は、緩やかな下り坂になっているところで、ここは雪が残ったままとなっていた。車が多く通るしスリップでもされて事故でもあったらどうするんだ!といういささかの奉仕からそこの雪かきもした。
数日後には灯油の配達を頼まなければいけない。灯油屋さんの車両が通りやすくしておかねばと、気づけば、その道から私道に入る入り口の数軒の家の前の(我が家の隣の前)なども、雪をかいていた。
最近は、誰かのために、なにかを無償ですることはほとんどない私だけれど、こういうことは、自分のためでもあるけれど、周り回って人様のためのでもある。
よく
「仕事で成果を上げるには、人のための仕事であることが大切」
みたいに言われれることがよくある。
つまり、「自分のためではなく、人の役に立つ仕事だから、成功することができる」という成功法則となってしまっている。
しかしこれを意識して、
「世のための仕事はなんだ?」
「自分は何ができるのだろうか?」
という悩みに陥ってしまい、何をしたらいいかわからなくなっている人は多い。
どんなにスキルやノウハウを学んでも、この沼に陥ってしまうと自分の持っている資質も、学んだスキルもノウハウも活かせず、つかわえれない不良在庫の備品のようになってしまう。
人のための仕事
人のための仕事
といいながら、
結局人のために何もできないままになる。
それは、
だれも評価されないことだったり、
人が嫌がることかもしれない。
「人のための仕事」
「人のための仕事」
と言っている人ほど、そうしたことができない。
労力を惜しむ、考え抜くことを惜しむ。
私自身は、仕事となったら自分の時間も労力も安売りすることはしない。
仕事は、それに見合う対価があって成り立つことだからだ。
そして、対価、お金が発生するということはプロ意識を持って取り組むし、相手もそれだけ本気で取り組むからこそ、成果が高い結果となる。コーチングやカウンセリングなどの対人支援の世界は特にそうだ。
「人のための仕事」、それは結局のところ、自分のための仕事をしていることで、「周り回って人のためになっている」ということに気がつくか気がつかないか。
そこが大事。
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