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お金で孤独を買ってみた

~24時間365日×■年、すべての時間を自分のものにしてみた件vol.7~

4.将来(生き方)について
・何度も何度も自分を見つめなおす時間がおとずれる。過去数十年分の人生を振り返り、その時々で感じたこと、学んだこと、乗り越えたことなど思い出しながらこの先の将来に何を望むのか、何を大切にして生きたいのか…を度々考えた。

・自分の強みについて、これまでは何かしらの突出した特技、得意なこと、役立つこと等に意識が向いていたが、自分にとって「当たり前すぎて気づかなかったこと」にもようやく気づくようになる。

・効率化、時短、利益追求…社会から求められるままに(気づけば)自分もそういったものを追い求めるようになっており、それらを実行できる状態であることを「良い」としていたのだが、それはただ「普通の生活」「社会人生活」をしていく中で刷り込まれて、そのようにできるようになるよう努力していただけだと気づいた。社会生活をしていれば自ずとそれらを求められ、自然とそうなってしまう。自分自身が「心から求めていること」はそれとはまったく異なることに気づけた。そんなに効率的に生きなくても、例え時間を無駄にしても利益を出さなくても問題ない。本来の「私」はそんなものにさほど価値を感じてはいない。安全安心な食べ物を食べて、大切な人達と穏やかに笑って…できるだけ多くそういった楽しい時間を持ちながら暮らしていけること、衣食住がごく普通に満たされていて、自分にとっての普通:当たり前に大切にしたいこと、が手に入っていたらそれだけで満足なのでは?と。この数年間である意味「目が覚めた?」感じがした。

・休憩モードに入ってからの数年間、何度も何度も迷走し、進む道を検討して結論を出して少し前進しては「違った;」と立ち止まりながら過ごした。どうしても「自分の経験を活かそう」「人の役に立とう」とする思考がはずれず社会から離れて3年程経っていても「ねばならない」思考がまだ抜けずミッション的な(使命のような)観点から方向を探りがちだった。それでもようやく、一旦それは置いといて楽しそう、面白そう!と思う方向での仕事を検討する思考に変換できるようにもなった。
 本当はどんな人間だったのか…といった本来の姿を探し、肯定するような感覚を得たからこそ見えてきた「進みたい道」を考えられるようにもなった。「囚われ」や「こだわり」から少しずつ開放していくことができたけれど、こんなにも時間がかかるなんて…。常識・習慣・刷り込み・教育の威力(凄まじさ)を実感した。

・セミリタイア的生活最後の年、潜在意識レベルにある重大な自身の課題に気づき「今後は自分のために生きよう」と決めた。この数年があったおかげで生き方を大きく変える機会を得られた。70代、80代、90代~となって気づいたとしたら…と思うとちょっとぞっとすることに気づけたので、それだけでも良かった。そしてこの数年の暮らしは自由を満喫できただけでなく、これまでにない位の迷走体験もあり、人生を大きく変える位の価値あるものを得られる時間でもあったと思った。もしかするとそれに気づくための数年間の戦い?修行の時間だったのかもしれない。

・どんなに考え抜いても答えが出ない時…。それが本当に長く続くとある時突然「これだけ考えて答えが出ないなら考えるのをやめて動こう!」という瞬間がおとずれる。

・心身ともに健康であることの大切さを改めて実感した。なんとなく想像していたが、この生活を実際にしてみたことで、健康な状態であれば年をどんなに重ねても働き続けている暮らしがbetterなのだろうと確信に変わった。
 働く=労働でもあるけど身体を動かして人と接して(頭をつかって)…を継続した方が「老後」を過ごすことより健康的で幸せそうだと予測している。そもそも人生に老後がある保障もない。

・これまでは日本の常識に従って(良いとされていることには特に忠実に)「ねばならない」「こうあるべき」にとらわれて選択し、生きてきたけれど今後は自分の意志、「こうしたい!」を優先してやっていく!と決めた。
 …こういった思考で選択するようにしてみよう、と考え始めてからもなかなか思考の癖はとれず「心から」そうなれるまでに3年以上かかった。
教育や常識、刷り込みの影響、パワーはすごい。

・まるでセレブ。もしかしたらそれ以上に自由な?!こういう生活を人生の中で一度でもできていること自体が幸せなこと。こういうリスクをとる選択ができるよう育ててもらって実際に自分で生きてこられていること…やっぱりすごいかもしれない。健康に家族に友人に…ありとあらゆるものに心から感謝!だ。

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