申告性の侵略
コインランドリーが好き、という人間は少ないだろう。とはいえ、嫌いという人間が多いということではない。
実際のところは好きでも嫌いでもない、という人間がほとんどだろう。誰もコインランドリーに対して特別な何かを感じていない。
しかし、男はその数少ないうちの一人だった。コインランドリーへ妙な思いを抱いているうちの。男は、コインランドリーが嫌いだった。恐怖すら覚えている。
男曰く。コインランドリーは停滞の象徴だ。そこでは皆俯いて、洗濯のできあがりを待っている。ひとりも、ひとことも発さない。丸くなれば人ひとりゆうゆうと飲み込むような恐ろしい例の機械はごうごうとうるさく音を立てて回り続ける。
堪えきれずに男はコインランドリーの外に出てたばこに火をつけた。ふだんよりもタールの重たい、間違って買ったそれは胸に苦しく、男は咽た。ただ、安心した。あの忌まわしい停滞を目の前にしてふだんと同じものを吸うのは余計に苦しくなったろう、と目を伏せる。憎らしくも外は快晴だった。
女は、男と同じく世間の少数派だった。ただ、彼女はコインランドリーを好ましく思っていた。明確な根拠を持っているわけではないが、その好意は明確だった。
回り続ける洗濯槽は朝と夜を繰り返す地球のようだ。偶然にも水もある。彼女が生まれ育ち、愛した惑星に似て。あるいは、このコインランドリーは24時間営業だったから、この皆が早く寝静まるような片田舎の町で常に明るい光を発しているのが好ましい。こんな説明が彼女の思考の深くで沈んだまま眠っているのかもしれない。こういった説明がつけられる。
男が二本のたばこを吸い終わり、大いなる停滞の中に身を投じたとき、コインランドリーに面した歩道を母親とそのまだ幼い娘が通って行った。白い、つばが下に向かって開いていく釣鐘のような形の帽子をかぶっている。娘の柔らかな髪の毛を覆っていた。娘は、まだコインランドリーを使ったことがない。
濡れそぼった服をハンガーにかけて腕を懸命に伸ばし太陽の元に晒してやる。彼女はこういった主観的な重労働をしぶるような、致命的な怠惰と沈痛の中にいなかった。男と違って。また、洗濯機を購入する気も、金もないような致命的な楽観と無知の中にもいなかった。女と違って。
彼女が無闇に振る手のうちのペットボトルの中で、オレンジジュースがぱしゃぱしゃと揺れて泡立っている。
女はそれを見ることがない。あのコインランドリーでうっかりとうたた寝をしているから。洗濯の仕上がりを示す音で起きるだろう。心地よく。
ところで、時間は進む。男の洗濯は終わったようで例の壁に空いた大きな穴から(正しくは穴が空いているのではなく、穴以外が壁から盛り上がっているからそう見えるだけなのだが)布たちを引きずりだす。黒の布団カバーに黒い靴下が絡まっていた。
乾いた布たちは真新しいように見えるが、実は本当の意味ではそうではないことに注意しなければならない。彼は命からがらあのやや大きな牢獄から逃げおおせながらこんなことを考えていた。暗闇で暖色の光を放っているからとはいえコインランドリーが無害ではないように、物事は多くの場合みかけで判断はできない。
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