たくさんの本を読んで、やっとわかった1つのこと
kindleの読書情報を参照すると、連続読書時間118週らしい。
2019年の12月1日から毎日何かしら読んでいる。
既読の本は170冊ほどだ。
ここまで読んできて、一つ学んだことがある。それは・・・
「ちゃんと読めてない」
という驚愕の事実だった。
もちろん日本語は解読できている(と思う)。
だけど、文の意味がわかる、ということを繰り返して、
読み流していただけだった。
このことをようやく理解できた。
これだけでも、面白い、感動した、という読書は十分にできる。
しかし、それだけではTVやYoutubeと変わらない。
TVやYoutubeとの違いはなにか、それは
進行スピードが自分でコントロールできることだ。
自分の意思で思考するタイミングをつかめる。
そして、「存分に考えることができる」。
深めるために読む
本を読むことは、たんなる楽しみでも良い。
しかし、本に書いてあることを生かして、
自分の人生が豊かにしたり、
彩りが増したりするのなら、
その方がいい。
このためには、書いてあることをたんに解釈するだけではなく、
深く掘り下げていく必要がある。
深掘りするのは、「作品の理解」と「自分の考え」だ。
本に書かれている真相は、とても一言では言い表せない。
これは当たり前で、そのために何ページもの紙が使われているのだ。
その真相をどこまで把握できるか、
つまり、限界ぎりぎり、誰が読んでもそこまでは間違いない
といえる限界ぎりぎりまで真相を読み取ること、
これが「作品への理解」だ。
そして、
今の自分がどう思ったのか?
過去の自分がどう考えていたのか?
それがどう変わったのか?
どう変えるべきなのか?
ということを思考する。
書かない読書は読書ではない
思考を深めるとき、何が必要か?それは、
書く、ということ。
自分が本を読みながら、何を考えたのか?ということを無視していたら、
次の行を読んだとたんに泡のように消えてしまう。
人は書き残したものを見て、
そこから思考というものは深めるしかない。
これは、算数において二桁の暗算が、
頭の中だけでやるには、ものすごく難しいのと同じ。
思考の難易度をさげるためにした、
人類の発明は、ずばり
紙に書くこと。
頭の中のものを書き出した紙を見ながら、
思考する以外の方法はない。
つまり、本を読んで、何も書いていないのは、
なにも考えていないのと同じ。
自分の気持ちが動いた箇所と、
その気持ちがいったいどういうものなのか、
なぜそういう気持ちになったのか、
そういうことを書き残しておくことで
自分を知ることができる。
自分の思考をよくみて、
深めていくことができる。
作品と自分とよく見て、よく付き合うためのことなら
なんでも書き残しておくことだ。
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