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八街トラック事故 ほんとうの悪ものは何か

「ちょっと休憩。どうせバレないし。」
在宅ワークのすきま時間にゲームをする。5分のつもりが10分になり、30分・・・、さすがに仕事しよう。

「一口だけ、チョコたべちゃおう」
ダイエット中に甘いものを食べるのはご法度だけれど、つい誘惑に負けて食べてしまう。ひとつ食べたら二つ、一箱・・・。

わたしは弱い人間だ。ちょっとだけ、の誘惑にすぐ負けてしまう。

これって、あのトラック運転手も同じなのではないだろうか。

酒を飲んだ男の運転するトラックが、学校からの帰宅途中に歩いていた小学生5人をはねて死傷した。この運転手も最初は「ちょっとだけなら飲んでもバレないだろう」という軽い気持ちで飲んだに違いない。それがいつの間にか常態化したのだろう。

事故にあわれた子のご両親の気持ちを想像れば、酒を飲んで運転していたなどという、トラックの運転手を到底許すことはできない。インターネット上では「極刑に処すべしという」という意見まである。心情としては理解できる。もっともだ。

しかし一方で、『仕事中にちょっとだけ、(やってはいけないことだけど)やっちゃおう』という、『緩み』は、わたしの中にもあるじゃないか。

始まりは同じ。

ゲームがやめられないこと、チョコがやめられないこと、酒がやめられないこと、根っこは全て同じ。

自分の緩んでいる部分が、たまたま大きな事故に結びついていないだけだ。

じゃあ、わたしにあのトラック運転手を非難する資格があるのだろうか?同じものを持っているのに、運転手だけ非難されて私が非難されないということがあるだろうか。

酒気帯びするやつは悪い。車に酒気帯び検知機能がついてなかったことが悪い。運送会社の責任だ。法整備が悪い。自分はたまたま罪に問われないからと言って、外野からアレが悪いだの、コレが悪いだの意見する立場にあるのだろうか。

他人の責任にすることで、自分の中の緩みを放置してしまっていないだろうか。

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