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なぜメルちゃんとポポちゃんとの別れが悲しいのか

娘が幼い頃遊んでいた人形のポポちゃんとメルちゃんを手放すことになった。

下の子が来年から小学校にあがるのに学習机を買ったのだけど、その置き場所がなく、おもちゃをかたして場所をつくろう、ということになったのだ。娘はもうほとんど人形遊びをしなくなっているし、ちょうど都合よく妻の友人に貰い手があった。

旅立つ前に袋に入れられたポポちゃんとメルちゃんを見ていたら、幼い娘が遊んでいた風景をふと思い出した。買った時の情景まで覚えている。近所のイオンのおもちゃ売り場、どこにおいてあるのか狙いすましていた娘は、躊躇なく人形の置き場所まで歩いていき、幼き手には抱えきれない大きな箱を取り抱え、反対の手でババの手を引いてレジまで一直線に向かった。そそくさと家に帰って、箱から出してからというもの、小さい腕にいつも二人の「我が子」を抱えて歩いた。「はい、どうぞ」と言ってミルクをあげたり、ベッドやソファに座らせて、よく三人でおしゃべりもしていた。女子会だ、なんて言っていたっけな。最近は、おもちゃ箱の底の方で寝ていることが多くなっていた。

ひとしきり思い出に浸ってから、二体の人形をこっそり取り出して写真を撮った。

この人形との別れに悲哀を感じるのはなぜだろう。

幼き頃の我が子との決別を意味するからではないか。

幼かったころの我が子には2度と会えない。このことを痛切に実感するからなのだ。成長の喜びの裏には、幼くて無邪気にかわいかった時間との別れがついて来る。

妻が届けに行ったところ、ポポちゃんとメルちゃんの新しいお母さんは、二人の子供の到来をとても喜んでくれていたということだ。いつまでも幸せにいて欲しい。

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