無職になって気づいたこと
気づけば、失業してから
早くも4ヶ月目に突入した。
娘は明日から小学6年生だ。
私は変わらず、無職。
なんて、情けなんだろう。
正直そう、思わずにはいられない。
この時期は通勤途中に
真新しいスーツを着た新社会人や
ピカピカのローファーに
ちょっと大きめの制服を着た学生を横目に
あんな時代が自分にもあったんだよな~
なんて思い老けたりしていたのに。
今年はそんな風に
思い老けることもない。
失業したての1ヶ月目は
毎朝、余裕のある生活の素晴らしさに
感動していた。
娘はとても手がかかる。
朝は7時以降、
5分ごとに声をかける。
それでも起きてくるのは
7時半すぎてからが大半で
遅刻は当たり前。
休まないだけ素晴らしい!
と、褒めるくらいだった。
そんな娘を仕事しながら
フォローするのは本当に大変で
余裕のない朝に
私は毎朝イライラしていた。
何とか起きてきた娘の
機嫌を損ねないように
穏やかに話しかけ
朝食をとらせ
服を一緒に選び
髪を結んであげる。
歯磨きを促し
あとは見送るだけ。
けれど これで見送れると
思ってはいけない。
あとはランドセルを背負って
靴を履くだけなのに
なぜか急に
『やっぱいかない!』
と駄々をこね始めることもしばしば。
その瞬間、
足元から地面が崩れるような
絶望を感じる。
私の頑張りは
娘の気持ち一つで消え去る。
仕事に行かなきゃいけないのに
娘が学校に行きたくないと言う。
かなりの頻度で
そんな朝を迎えていると
どうして行きたくないのか
なんで急に気持ちが変わったのか
穏やかには聞けなくなる。
仕事に遅刻できない私は
癇癪をおこした娘と
向き合う時間も取れず
放って家を出ることもあった。
酷い親だ。
失業してからは
時間に追われることもなく
心から穏やかな気持ちで
マイペースすぎる娘に
付き合ってあげられる。
登校前にゆっくり
ハグができる。
顔を見て、笑顔で
『行ってらっしゃい』と
見送れる。
学校に行きたくないなら
行きたくないで
それを受け入れてあげられる。
遅すぎる登校も
一緒に付き合ってあげられる。
学校の行事も罪悪感なく
ノーストレスで参加できる。
これが当たり前の
子育てであるべきだと
心から思った。
私が失業してから
不思議なことに
娘は朝もきちんと起きるようになったし
学校も遅刻せず行けるようになった。
癇癪も驚くほど減った。
たまに疲れたのか
休む時もあるけど
それは失業前とは
比にもならない程度だ。
愛が足りてなかったんだと
痛感する。
毎朝イライラして
娘の顔を見る余裕もない。
帰宅後は家事に追われて
娘の話を聞く余裕がなかったし
聞く気すら持ててなかった。
あの時の自分としては
精一杯やっているつもりだった。
出来る限りの向き合いを
しているつもりだった。
けれど、あんなものでは
全く足りてなかったんだと
思うほかなかった。
私がしたい生活はどんなか。
私の大切なものは何か。
大事にしたいことは何か。
娘との関係をどう築きたいのか。
失業は私に考える時間をくれた。
今まで、考える時間もなく
ただ、生活をしていた。
理想は、ただの夢物語で
思い描くだけ無駄だと思っていた。
私にはこんな生活しかできないし
生活できているだけ幸せだと
思い込むしかなかった。
有り余る時間の中で
考えずには いられない。
私は、こんな生活を
望んでいたのだろうか…
仕事を探す時も
モヤモヤした気持ちで探してしまう。
だから『応募する』のボタンが押せない。
また、娘と向き合う時間を
犠牲にして働かないといけないのか。
そんな答えは
1+1より簡単だ。
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