千秋楽は幕が上がるから迎えられるもの。
こちらの記事を読んだ。
元花組男役、天真みちるさんの、3.11の際のお話だ。
今みたいにゆるくという訳でなく、贔屓を観にそれはもうガンガンに劇場にいた頃だ。
そんなガンガン観に行く先に、花組さんもいた。
この時、あれだけの震災に関わらず、花組公演は確かほとんど中止することなく行われた、と思う。その中でいくつか夜公演だけが振替になった。いくつかの中に、私がチケットを取っている回もあった。私はそれに落胆できるくらいの状況にいた。
運良くも振替公演に行けた私は、たそ(天真)さんが言う通りの光景を目の当たりにするのだけど、「こんな時だからこそ、いつも通りの公演」が目の前にあることに本当に救われたし、なんだか不思議な気持ちになった。
私は被災というほどの苦労はしていないけど、それでも連日の計画停電や震災の報は心が滅入るし、普段通りという日々ではなかった。
そんな中にあって、このいつも通りの「夢の宝塚の中」にいたのだ。
不思議だった。
そして、幸せだった。
この公演は、トップスター・ゆう(真飛)さんの退団公演。
きっといつもであっても万感の思い溢れるであろう「エスポワール」の場面は、本当に心打たれる光景として、今も私の中にある。
それと同時に、公演終了後、募金箱を持って生徒がロビーに立つ姿も忘れられない。後にも先にも、あの光景はあの時だけだ。
自身の退団公演で大変な中、毎公演挨拶をし、黒燕尾に着替え直し、ロビーに立つゆうさんの姿。
私の贔屓より上級生ということもあり、一生ついて行きたいと思った先輩の姿だ。後輩でもないのにね。勝手にね。
そしてまた、振替として劇場に訪れた私は、この光景も見られなかったかもしれない人。
今この時、この場所にいられて、見られて、私はなんて幸運なのだろうと思った。忘れたくないと思った。
またこの話には続きがある。
私はその後、専科・花組公演「おかしな二人」を観に行った。旧青年館だ。
笑いにあふれた本編は終わり、フィナーレの途中。残すはカーテンコールのみという時、地鳴りの後少し大きく揺れた。辺りから悲鳴があがった。旧青年館は古く、2階に居た私は特に揺れたように思う。
舞台は一時中断。幕がおりて、客電がついた。
1人で足を運んだ私は誰と喋る訳でもなく、「まだ舞台の途中だから」と携帯の電源を入れることなく、ざわざわした心と一緒に座っていた。
程なくして(だと思う。随分長く感じられたけど、多分それほどでもないんだと思う)、カーテンコールから再開した。
とても大きな拍手が湧き上がった。出てきた組子は、いつも以上にキラキラしていて、笑顔だった。
そこで思わず泣いてしまった。
宝塚は、あの時も今も、「変わらずあり続けている」と。
幕が上がり千秋楽を迎えることは、当たり前じゃない。
私は何気なく言っていた「千秋楽おめでとう」を、あれ以来心からの祝福と共に言っている。
そして、今も言いたいと思っている。
私は専門家じゃないから分からないけど、本当にこの中止は必要なものなのだろうか。
あの時とは状況が違う。からこそ、どうにかできることもあると思う。
万全の注意を行った上で、言わせてください。
「千秋楽おめでとう」と。
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