『幼児化したアグネスタキオンが行く、トレーナー探しの旅 inトレセン学園』(ウマ娘)
はて。密室に閉じ込められた経験がある、という人間はこの世にどれくらい居るのだろう。
誘拐やイジメに虐待と、閉じ込めるに足る理由は様々思い付くが、しかし己の経験として「閉じ込められたことがあるぞ」と語れる人物はそう多くないのでは、と、この私――アグネスタキオンは考える。
「ふぅン、どうしたものかな」
だが現実として私の目の前にあるのは、行く手を阻む”巨大なドア”。世間一般ではこのドアを巨大とは表現しないが、しかし今の私からしてみればどう見ても巨大だった。
私の身に何が起きたのか、についての説明は一言で済む。
「……まさか自作の薬で幼児化とはねぇ」
己の身体が縮むことで、ここまで世界が大きく感じるとは想定外。まったく手の届く気のしないドアノブを見つめながら、私は小さく溜め息を吐いた。
「参ったな。この身体ではドアが開けられないし、机の上のスマホにも触れない」
私が操るのは三歳児程度の小さな肉体である。ありとあらゆる行動に制限が掛かり、不便で不便で仕方がなかった。こんなにもドアノブを疎ましく思ったのは、生まれて初めての経験かもしれない。
他ならぬ自分自身に閉じ込められるとは、随分な間抜けだ、と私は自虐する。
「はぁ……まぁいいさ。トレーナー君の手さえ借りられれば、元の姿に戻る薬は簡単に作れる。トレーナー君が帰ってくるまで大人しく待つことにしよう」
そして私は近くの壁へと歩き、冷たい床に腰掛けた。
暇ではあるが仕方ない。頭の中で研究を整理し、次に行う実験の効率化を進めることにした。
ところが。
「ん?……涙?」
唐突に瞳から溢れた液体に、思考が停止する。
脈略もなく泣き出してしまう自分に驚いた。
「……なんだ、これは。薬の副作用か?」
右手の袖で涙を拭き取りながら、私は小さく首を傾げる。薬の構造式を思い出すが、しかし涙腺に直接作用するような何かを使った覚えはない。
「困ったぞ、原因が分からなければ対策も……いや」
だが悩んでいると、ふと気づく。
唐突に溢れる涙。不安定な情緒。これは三歳児幼女に見られる典型的な特徴なのではないか、と。
「もしや、この幼い身体に感情が引っ張られているのか?……だとすれば、この謎の焦燥感や不安にも説明がつくが」
改めて己の内側に意識を向けてみると、なんとなく暗がりを怖く感じていることに気づく。それにやけに一人が心細い。
「……。トレーナー、くん」
不意にその呼び名が口をつく。いつの間にか私は、自分の服の裾を強く握り締めていた。
「……ふむ、これは不味いな。トレーナー君に会いたくて会いたくて仕方がない。というか今トレーナー君と出会ったら、反射的に抱きついてしまうぞ絶対に」
普段から抱きつきたいなぁと頭の片隅で考えてはいたが、とはいえそんなものは強靭な理性をもってすれば大した問題ではない。
しかし今だけは不味かった。明らかに理性が仕事をサボっている。
「……子供の感情とは思いの外に複雑なのだね。暗いし怖いし寂しいし、電気をつけようにも手が届かない。うぐぐ、早く助けてくれたまえよトレーナーくぅん……」
会うべきではないと分かりつつも、ついつい会いたいと願ってしまう。矛盾した非合理的な思考に頭痛を感じた。
ふとそのときである。
「タキオン!約束の薬を貰いに来たで!」
バンッ、と部屋の扉が開かれた。
驚きに目を開きながら顔を上げると、そこに立っていたのは小柄でお馴染みタマモクロスだった。
個人的には若干の頼りなさを感じるものの、ともあれ今この状況で現れる人物は誰であろうと救世主。私は嬉々として立ち上がり、タマモ君に声をかけた。
「やぁタマモ君!良いところに来てくれた!」
「ん?なんやこの可愛いチンチクリンは」
「いきなり失礼極まりないな」
正しい反応と言えばその通りだが、しかしチンチクリン扱いは甚だ遺憾である。私は「君の言葉に傷つけられたぞ」と表明するかの如くタマモ君を見つめる……が、しかしその背後から足音がしたので目線を変える。
「タマ、どうかしたのか。早く奥に進んでくれないと、私が部屋に入れない」
「そ、そやな。すまんオグリ、ウチとしたことが動揺してもたわ」
聞こえてきたのはオグリキャップの声。どうやら二人で私の部屋を訪ねてきたらしい。二人は無遠慮に中へ入ると、横に並んで私をじっと見つめた。
「……っ!大変だタマ、タキオンが一口サイズになっている」
「いや人の大きさを食べ物と同じ感覚で表現するのは止めとき。普通に怖いわ」
私の頬に冷や汗が伝う。捕食者と向き合う恐怖でおしっこが漏れそうになった。なるほどこれが三歳児の膀胱か。
ともかくと私は二人に、何が起きたのかを説明することにした。
…………。
説明終了。
「はー、それは災難やったなぁ。飴ちゃんいるか?」
「頂こう」
私はタマモ君から飴玉を受け取りながら、言葉を続ける。
「そういう訳で、元の姿に戻るためにトレーナー君と合流したいのだけれど、協力して貰えるかい?」
「おうおう任せとき、困ったときはお互い様や」
「助かるよタマモ君」
既に電気は彼女らが点けてくれ、そしてスマホも机の上から取ってもらった。二人の参入により、状況が好転しているのは間違いない。
残念ながらトレーナー君と通話は繋がらなかったが、彼女たちの協力があれば、きっとトレーナー君ともすぐに出会えるだろう。
「よっしゃ、それじゃ早速探しに行くで!」
という訳で、私たちはトレーナー探しの旅へと出ることになった。私はタマモ君にスっと抱き上げられて、その胸に収められる。
「ふむ、タマモ君は随分と子供を抱え慣れているのだね。なんというか、とても心地いい」
「ん?まぁ家にはおチビも居ったしな」
なるほど、と私は彼女の根源を理解した。非常に安定したタマモ君の腕の中は、油断するとウトウトしてしまう。
そうして私たちはトレーナー室、ジム、レース場と目ぼしいところを回っていく。トレーナー君が学園の何処かに居るのは間違いないが、しかしその姿は何処にも見つからなかった。
「困ったな。そろそろ二人もトレーニングの時間だろう?これ以上私に付き合わせる訳には……」
「そんなん気にすんなっちゅーねん。タキオン見捨ててトレーニング行っても、全く集中出来へんわ」
「私も同感だ。腹を空かせた後のご飯が美味しいように、憂いなく挑むトレーニングの方が楽しめる」
二人の言葉を聞いて、私の瞳に熱いものが込み上げる。上手く言い表せないが、私の中に眠る「なつき度」的な謎メーターがグングンと伸びていくのが分かった。
「それではタマモお姉ちゃ――おっと。タマモ君、次はプールへ向かおうじゃないか」
「せやな!……ってタキオン、今ウチのことなんて呼ぼうとした?」
「む?普通にタマモ君と呼んだが」
「いや嘘や。絶対に今、ウチのことお姉ちゃんって呼びそうになったやろ」
「気のせいだ。さぁ早く出発しよう!」
今のは危ない、とても危なかった。少しずつ精神が三歳児へと寄っている気がする。一刻も早く解毒剤を作らねば不味いと本能が叫んだ。
タマモ君は胡乱気な瞳で私を見るが、しかし私は無視を決め込み「さぁ行こう!」と言い続けた。
そうして三人で歩いていると、ふと新たな人物が姿を見せる。
彼女はシュパッという効果音と共に現れ、我々の目を一瞬にして奪った。
「私がママでちゅよ!!!」
ママだった。いやスーパークリークだった。
「な、なんやクリーク。流石にそれはいきなり過ぎんか」
「……あら?」
私の言いたかった言葉を代わりに伝えてくれたタマモ君に感謝しつつ、クリーク君に目を向ける。すると彼女は彼女で不思議そうな表情を浮かべていた。
「おかしいですね〜。ここに来ればママになれると、私の母性が語りかけてきたのですけど……」
「どないなっとんねんアンタの母性は」
彼女には幼児を発見するセンサーでもあるのか。
私はタマモ君の腕の中に深く潜り込み、自身をママと呼称する奇人から隠れようと努力する、が、しかし。
「おやおや〜?そこに居るのは……」
「うぐっ」
あえなく見つかってしまう。やはりタマモ君の平たい胸に隠れるのは無理があったか。
「タマちゃん、その可愛い女の子は一体?」
「あー……、アグネスタキオンや。薬で幼児化したらしいで」
「まあまあ!」
クリーク君は、タマモ君の端的で分かりやすい説明を疑う様子もなく、ただ口元を押さえて驚いた声を上げる。彼女が嬉しそうにしている理由については、あまり考えたくなかった。
「タマちゃん、私もタキオンちゃんを抱いてみたいです」
「いーや、駄目や」
「どうしてですか?」
「クリークに渡したら絶対に返さんやろ。ウチはタキオンのお姉ちゃんやからな。このポジションを譲る訳にはイカンのや」
ん?と不穏なセリフに首を傾げる。私はタマモ君の妹になった記憶などない。
私はタマモ君の言葉を訂正しようと、二人の会話に口を挟もうとするが――
「でも私はタキオンちゃんのママですから、一度は抱いておかないと」
――更なる家族の追加に、固まった。
段々とカオスへ近づいていくのを感じる。
「待ちたまえ、君たちは何を言っているんだい?私は君らの妹でも娘でも――」
「タキオン、飴ちゃんやるから黙っとき」
「ありがとう」
はて何の話をしていたのだったか。飴玉を貰えた喜びで忘れてしまった。
「絶対にタキオンは渡さへん!」
「ふふっ、そんなことは許しませんよ〜」
おや?これはリンゴ味だろうか。とても美味しい。
「ちょ、物理攻撃は止めときクリーク!無理やり奪おうとしてタキオンが怪我したらどうするつもりや!」
「……むっ、確かにそれはそうですね。ではどちらがタキオンちゃんの保護者に相応しいのか、ジャンケンで決めましょう。どっちが勝っても文句なしです」
「……。ええやろ。ジャンケンでもウチの方が上やと教えたるわ」
やはり甘味は素晴らしい。脳の栄養と呼ばれるだけのことはある。もっとたくさん食べたいな。
「ふふっ、とはいえ私がタマちゃんに負けるはずないんですけどね。母性の総量が違いますから〜」
「なっ!?ウ、ウチを挑発するとは良い度胸やないか!分かったで、そこまで言うならこのジャンケンにオグリの夕飯も賭けたるわ!」
「え?待てタマ、それはおかしい。どう考えてもおかしい」
「安心せぇオグリ、ウチは絶対に負けへん。なにせウチのチョキは無敵や」
「おいタマ、チョキを出すのか?さてはチョキを出すつもりだな?やはりダメだ、私の夕飯の件は取り消してくれ。早く」
「ほんじゃ行くでクリーク!!」
「はい!!負けませんよ!!」
「タマ?聞いてるかタマ」
と、やけに騒がしい周囲に耳を塞ぎながら、私は飴玉をしっかりと味わうことにした。
ちなみに二人の決着がついた直後にトレーナー君が現れ、私は無事に元の姿に戻れた……が、詳しい内容は語りたくない。
この先は、私らしからぬ痴態が少しばかり多すぎる。
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