『Report:その脚は壊れる運命にあるとして』(ウマ娘)

 ウマ娘の持つ力の限界は、親だけで決まると言っても過言ではない。血筋、因子、才能。そこには努力では越えられない壁が明確に存在する。
 長距離を苦手とするウマ娘がいれば、短距離だけは無理だと話すウマ娘もいるように、誰もが何かしらを欠かした状態で生きていく。

 そして私に欠けていたのは、「脚の強度」だった。

 両親が私に興味を失い放任主義と化したのは、私が初めて脚の痛みを訴えた、あのときからである。その日私は指示されたトレーニングの半分もこなせず、膝から崩れ落ち、呼吸を乱し、激しい痛みに目を見開いた。
 生まれが名家であったがために、元あった私への期待は大きく、またそれ故に失望も大きかったのだろう。

――『…あぁ、この子はダメだな』

 静かに呟かれた父親の言葉は、今でも耳に残っている。

 悔しかった。唇を噛みちぎった。生まれて初めて涙が零れた。親にどう思われようと知ったことではなかったが、「この脚ではウマ娘の限界には至れない」と、他ならぬ私自身が理解してしまった事実が、何よりも嗚咽を洩らさせたのだ。

 ……嫌だ、諦めきれるか。私は誰よりも速くなりたいのだ。

 この肉体で到達し得る果てを、ずっと夢見ていた。他の誰でもない、この私が願ったのだ。最速を。最強を。限界を。この私自身がそうありたいと、己の内に吼えたのだ。

 素質は足りている。意思も足りている。しかし頑丈さだけが足りなかった。思い切り地面を蹴ると、それだけで両の脚骨が音を上げた。
 そんな理不尽な現実があまりにも恨めしくて、「なんだよこれは、巫山戯るな」と私らしくもなく空に泣いた。

 単純な身体強化に限界を感じた私は、薬学に手を伸ばす。身体が駄目なら頭を回すしかないだろうと、私は腐りながらも才能に抗った。

 異端児と呼ばれ始めたのはその頃からだ。
 手段を選ぶつもりなどなく、何をしても、何を言われようとも、何者にも受け入れられなかったとしても構わない。私はこの脚でウマ娘の限界を辿り着ければ、それだけで満足だったのだ。

 意地でも諦めてなるものか。たとえ脚が折れようとも、心だけは決して折るな、と。机にペンを突き付けた。

 数年後、私はトレセン学園に入学する。
 そして一瞬で絶望させられた。そこでは私以上の才能を持つ者たちが、私の焦がれた「努力」に明け暮れていたのだ。

 あぁ羨ましい妬ましい何故君たちだけが好き勝手に走り回れる?どうして君らだけが好き放題に前へと進める?血反吐を吐けることがどれだけ幸福なのかも知らないで、「今日も頑張ったね」と満足気な笑みを浮かべるなんて。

 悔しくて悔しくて地面を蹴りつけた。僅かな痛みが返ってきた。

 数多の才能――その中でも特に私の理想に近かったのは、マンハッタンカフェという名の少女。彼女の脚質は私によく似ていて、そして私よりも遥かに頑丈だった。
 私は渦巻く悪感情をどうにか堪えて、深く息を吐く。冷静に、冷徹に、ただ現実を見て己の心を制御する。

――プランB

 最終手段として、夢を半分叶える手段として、それを心の隅に置くことにした。

 私にとってのトレセン学園は、単なる地獄でしかない。羨ましく思うものをまざまざと見せつけられて、何が楽しいものか。研究に没頭していなければ不意に涙が零れてしまうほどに、私の精神は削られていた。

 何が『変わり者の異端児』だろう。
 ……私はただ、逃げているだけだ。

 そんなある日、一人の男が私の部屋を訪れる。

「こんにちは、アグネスタキオン」

 それは狂った瞳を浮かべる男だった。

 無遠慮に開け放たれた扉を眺めながら、私は静かに首を傾げる。こんな薬しかない部屋に、一体何の用かと疑問を抱いたのだ。

 トレーナーのバッジを身につけている以上、不審者では無さそうだが、明らかに狂人ではあった。私は頬を引き攣らせながらも、彼を追い出すことに決める。

 だが、しかし。

 男は私が何かを言うよりも早くずけずけと私に近寄ると、私の手にしていた試験管を奪い取り――そして、迷うことなくその中身を飲み込んだのだ。

 私はあんぐりと口を開き、上擦った声を上げる。「な、なっ……!?」と私らしからぬ声を洩らしてしまうが、男はそんな私を気にした様子もなく口を開いた。

「君をスカウトしにきた」

 その言葉を聞いて、私はなるほどと彼の要件を理解する。だがしかし、それでもこの男が薬を飲み干した理由は分からなかった。私をスカウトする際には、薬を飲まねばならないルールでもあるのだろうか?

 なんにせよ私はトレーナーなんて存在に用はない。既に努力の方向性を研究へとシフトさせた以上、彼らの存在に出来ることなど限られていた。

 可能性があるとすれば、この欠陥だらけの脚を鍛え上げられるような、私以上に私を知り尽くした奇人くらいなものだ。

 だから私は男を睨み付けるが、しかし。

「俺は君の脚のことなら何でも知ってる。壊れ方も、限界を迎えるタイミングも知っている」

「……は?」

「絶望する顔も見た。もう泣かせないと決めた。……だから全部任せて。今度こそ君の夢を叶えてみせる」

――その男の言葉に、息を詰まらせた。

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