『ライスシャワーの選択肢』(ウマ娘)

 どうしてライスは不幸なのかなぁ、と。
 何度目かも分からない自問を、一人ぽつりと呟いた。

 菊花賞にてミホノブルボンを打ち倒したライスシャワーは、誰に声を掛けられるでもなく、誰に褒められることもなく、一人静かに学園へと戻る。
 そして「敗者が悔しさを叫ぶ場所」に使われるという、中心部を切り抜かれた切り株の上に座り、ぼうっと空を眺めていた。

 雲一つない夜空には三日月が浮かび、辺りを明るく照らしている。都会の空気の悪さ故か、或いは月の輝きが強すぎるせいか、その三日月の近くには一つの星も見えなかった。

「そっか。ライス、勝ったらダメだったんだね……」

 耳に残るのは、『なんでライスシャワーなんだよ』という観客たちのブーイング。彼女がセンターとして踊るライブの最中でさえ、観客たちにとっての主役はライスシャワーではなかった。

「あはは。……ライス、一人で頑張ったのになぁ。どのトレーナーさんにも相手して貰えなくて、どのチームにも入れて貰えなくて。……それでも諦めないで、ライス頑張ったのに」

 泣かないように上を向いても、瞳の端から溢れ出す。
 情けなく震える自分の声が耳に届くと、堪えるつもりの涙がさらに激しく頬を伝った。

「ライスって、不幸なだけじゃなくてバカなんだ」

 勝ちさえすれば、認めて貰えると思っていた。
 それが幸せの第一歩になると信じて、ただ愚直に間抜けに、効率も何も無い根性論だけのトレーニングに励んできた。

「ライスなんか、誰にも認めて貰えるはずないのに」

 まさか頑張り抜いた果てでしか気づけないなんて、そんな愚かなことも無いだろう。

「……う、ぅ………ぁ……っ」

 ずっと目を背けていた事実を口にした途端、一気に感情が溢れ出てた。

 そして、今まで大声を上げたことすらなかったのに、

「うわぁぁぁん……」

 思いっきり、泣き叫んでしまった。
 今の姿を誰かに見られてしまうのは怖いが、しかしそんな理性ではこの感情を抑え込めなかった。

 いくら涙を拭き取っても止まらない。大事に大事に扱ってきた勝負服の袖が、涙でグシャグシャに濡れるのを見て、さらに悲しくなった。

「う……あぁぁぁ………」
 
 もういいや、どうせ誰もいないから、と。ライスシャワーはこの場で全ての涙を流しきることに決める。

 そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
 三日月の端が雲に隠れた様子からみるに、数十分では済まなそうだが……ともかく、そのとき一人の女が現れた。

「なんだい、こんな夜更けに騒がしいね。……研究に集中出来ないから、場所を変えて貰えると助かるのだが」

「……ぇ?」

 それは気だるげな声。
 慌てて顔をあげると、そこにはアグネスタキオンが立っていた。

「……あぁ、誰かと思えばライス君じゃないか。まさに今日華々しい功績を残した君が、どうしてこんなところで泣いている」

「アグネス、タキオン…さん」

 変わった人である、とだけ知っていた。
 こんな遅くまで学園にいる時点で変人には違いないが、しかしそれは自分も同じことかとライスシャワーは目を伏せる。いつの間にやら門限はとっくに過ぎていた。

「ご、ごめんなさい。……すぐに帰ります」

 よく知らない相手は怖い。何を言われるか分からない。
 だからこそ、ライスシャワーは泣き顔を隠して立ち上がろうとした……のだが。

「ん?いや待ちたまえ、私の興味は君に移った――……ではなく。こんな時間に出会ったのも何かの縁さ、私で良ければ相談に乗ろう」

「……え?」

「理由も無く叫んでいた訳ではないだろう?夜遅くに女の子が一人で泣いていれば、いくら私でも気にかかる」

 どうせ門限はもう過ぎているし、こっぴどく怒られるのは変わらないさ、とアグネスタキオンは続けた。

「……ほっといて、ください。ライスと関わっても、良いことなんて何も無いよ」

「別に私は『良いこと』を求めて話し掛けたつもりは無かったが……それはそれとして、君は随分と自虐的なことを言う。レース中の”悪魔”のような姿とは似ても似つかないねぇ」

「……っ」

 悪魔。……悪。ヒール。

 アグネスタキオンにとっては大した意味の無い単語だったが、しかしそれはライスシャワーの心を締め付ける。お前が悪者だと、面と向かって言われたような気分になった。

「……どう、して?」

「ん?」

 それは意志とは関係なく出た言葉。

「どうして、みんな……ライスを虐めるの?」

 積もりに積もった不満が、偶然にもアグネスタキオンの一言をトドメとして溢れ出た結果だ。
 アグネスタキオンは驚いたように目を見開くと、宥めるように両手を向ける。

「すまない、気に障ることを言ったのなら謝るが……」

「ライスは、皆に笑って欲しいだけだよ。何も悪いことしてないよ。……なのに、どうしてライスはこんなに辛い目に遭わなきゃいけないの?どうして皆、酷いこと言うの……っ!?」

 アグネスタキオンの謝罪も押し潰して、涙ながらに想いを叫ぶ。それはずっと我慢していた言葉だ。
 
「頑張ったのにっ!ライスいっぱい頑張ったのにっ!……分からないよぅ……っ、なんでライスばっかり不幸なの!?」

「……」

「ライスは……っ、ライスはヒールじゃないッ!!ヒールになんてなりたくなかった!!」

 ライスシャワーは喉を必死に震わせて、慣れない声量に身を任せる。首を絞められるような息苦しさを感じた。
 そんな彼女を無言で見つめるアグネスタキオンの瞳は、理解の色に染まっていく。あぁなるほど…と、ライスシャワーの身に何が起きたのかを把握した。

「ブルボン君か」

「っ!」

 ライスシャワーはその名前に、ビクリと身体を跳ねさせる。

「君は、彼女の三冠を奪ったことを後悔しているのか」

 ただ真っ直ぐにその瞳を見つめ、問いかけた。そんなアグネスタキオンに対し、ライスシャワーは目を逸らしながら言葉を返す。

「……当たり前だよ。ライスのせいで、沢山の人を悲しませたんだから」

 悔しさと虚しさと罪悪感。数多の感情が入り混じっていた。そんなライスシャワーを見たアグネスタキオンは、軽く息を吐き悩むように髪を掻く。

「……困ったな。私は誰かを慰めた経験がない。だからこんなときであっても、どうしても理屈じみた返答になってしまう。……だが、そんな私でも君に伝えられる言葉があるとすれば――」

 そして、目を細めながら、

「――『君は間違いなく正しいことをした』、とかだろうね」

 そう口にした。

「……正しい?」

「そうだとも、ライス君は何も間違えていない。試しに問うが、もし君があのレースをもう一度やり直せるとしたら、わざと負けたりするのかい?」

「……それ、は」

「しないだろうね。あれだけの執念を見せた君が、レースで手を抜くなんて考えられない」

 だからこそ、とアグネスタキオンは続ける。

「ハッキリと言ってしまえば、君は運が悪かっただけだ。努力が実を結ぶタイミングが致命的だった。不幸だから観客に嫌われた。不幸だから孤独に陥った。……言ってしまえばそれだけなのさ」

「……っ、そんな………」

「おっと泣かないでくれよ。運には見放された君だが、その代わり才能にはすこぶる愛されたのだから」

 アグネスタキオンは自身の脚を擦りながら、ライスシャワーに優しく微笑んだ。

「……でも、ライス嫌だよ。皆に嫌われたままなんて」

「欲張りだねぇ。……だが有象無象の群衆がこの先どうなるかなんて、私にも分からない。いち研究者としては、最悪を想定しておくことをオススメするが」

「さいあく?」

「そう。死ぬまで全ての観客に敗北を祈られ続ける、とかね」

「……っ」

 ライスシャワーは怯えたように表情を強ばらせる。
 その様子を見て、おっと失言だったかな?とアグネスタキオンは口元を押さえるが、しかし訂正することはしなかった。

「ところで。今日のレースを見ていて思ったのだが、君は相当な負けず嫌いだろう?そうでなければ、あんな鬼のような形相を浮かべられるものか」

「……そう、なのかな。ライスには分からないよ」

「いいや、間違いない。テレビ越しですら私は君の殺意をひしひしと感じた。『噛み殺してでも追い抜いてやる』という、執念の塊を君の瞳に見た。あれは……そうだな、ストーカーの気質に近い」

「うっ……」

 ストーカー。
 残念なことに、それを否定できない記憶がライスシャワーの脳裏には蘇る。レースに勝つためとはいえ、こっそりミホノブルボンの後ろを追いかけ回した事実は決して消えない。
 意味深なライスシャワーのリアクションにアグネスタキオンは首を傾げつつも、結局気にすることはせずに言葉を続けた。

「ウマ娘であれば当然持ち合わせている『勝ちたい』という本能だが、君のそれは人並外れて狂っていると言わざるを得ない。私は恐怖すら感じるよ」

 それでと間を置き、アグネスタキオンは問いかける。

「……君が走る一番の理由はなんだい?ヒーローになりたいのか?それとも勝ちたいのかな」

 どちらも本物の欲求なのだろうが、選べるのは二つに一つだぞと。

「ヒーローになりたいだけなら、走るのなんて辞めればいい。記者の連中に『菊花賞で二度と走れない怪我をした』とでも伝えれば、上手い具合に脚色してくれるさ。『遥か格上を打ち負かすために、全てを犠牲にしたウマ娘』……とかね」

「……」

「これは君が決めることだよ、ライスシャワー。大人しくヒーローに収まるか、それとも世界を敵に回してその脚で全てを黙らせるか」

 じっと目を合わせながら、そう話した。

 ライスシャワーは困惑したように瞳を揺らすが、しかし数度の瞬きと共に落ち着きを取り戻す。その表情は晴れ晴れとは言い難く、むしろ「何かを諦めた」と表現するのが正しかった。

「やっぱり、ライスには難しいことは分からないよ。……でもね、ライス走るのは好きだから辞めたくないの。それに負けるのも嫌、かもしれない」

「ふむ」

「……あとね、なんかね。ライスどうでも良くなってきちゃった。皆を笑顔にしたいとか、皆に褒められたいとか、ぜーんぶどうでも良くなっちゃった。ふふっ、アグネスタキオンさんのお陰かも」

 それは儚げな笑み。
 だが続く言葉は、酷く狂っていた。

「だってライスは悪くないんだよね?……なら悪いのは、皆の方だよ。ライスを悪者にした、ブルボンさんが悪いんだ」

「……ライス君?」

 その突飛すぎる結論に、アグネスタキオンは頬を強ばらせた。何か、大切な分岐を誤ってしまったような感覚が彼女を襲う。

「……うん、決めた。ライス、ヒールでいいや。皆に嫌われても気にしない。ライスは不幸でダメな子だから、誰かに好かれたいと思っちゃう時点で間違いだったんだ」

 それは諦念の声。不幸を受け入れ、運命に抗わないという答え。

「その代わり、ライスはこれから絶対に負けない。どんなヒーローが現れても、ライスが絶対に倒すんだ。ブルボンさんもマックイーンさんも、みーんなライスが倒すから」

 凝り固まった、ヘドロのような執念を胸に。

「……レースのときだけは、みんなライスよりも不幸になればいいんだ」

 そして、真に青い薔薇は咲く。
 決して勝てない、『不可能』の象徴として。

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