『シンボリルドルフに告白したけど断られたトレーナーは、仕方ないので〇〇することにしました』(ウマ娘)
勝ちたい、ではない。勝たねばならないのだ。
私に課せられる責務は「勝つこと」ではなく、「どのように勝つか」だった。
――唯一抜きん出て並ぶ者なし。
故にライバルなど不要と私は断ずる。ただひたすらに前へと進み、己自身を超え続けるのが正しいのだと、他ならぬ私だけは知っていた。
血反吐を吐けば吐く程に、私の心は穏やかに澄み渡る。口から溢れた体液が芝を濡らす度に、私は安堵した。
シンボリルドルフ。”皇帝”。
自ら名乗ったその名前が、無為に最強と駆り立てる。
「……私は、無敗で在り続けねばならない」
観客が私に向けるのは応援ではなく、期待と羨望。「どれだけ圧倒的なレースを見せてくれるのか」という期待と、全てのウマ娘が浮かべる羨望の眼差しである。
「おぇ”っ……。げほっ……もう、一周」
あまりのプレッシャーに吐き気がする。
度を超えた信頼に目眩がする。
しかし私は止まれない。止まる訳にはいかなかった。
私を知る全ての人々の為に、そして私に憧れた”あの少女”の為にも。
…………。
私には一人のトレーナーがいる。二年以上の付き合いになる、信頼に足る人物だ。彼はトレーナーとしても優秀だったが、それ以上に私を深く理解してくれる友人として、私の心を支えてくれていた。
そんなトレーナー君に、ある日「大事な話がある」と呼び出される。
「俺と、付き合ってくれませんか。トレーナーとしてルドルフと一緒に過ごす中で、その真っ直ぐな志に惹かれました。……お願いします」
告白だった。
彼との歳は一つしか違わないし、共に長い時間を過ごせば不思議な話でもないのだろう。だがあまりにも唐突だったせいで、私は取るべきリアクションすら出来なかった。
「……。トレーナー君」
「うん」
無表情に私は告げる。
「次に私が走る、レースの日は覚えているか?」
「……え?」
トレーナー君は、震える瞳で私を見つめていた。
私の言葉がよほど想定外だったのか、トレーナー君は困惑しているようだが――しかし、どうにか私の問いに答えを返す。
「天皇賞……だよね。一ヶ月後にある」
「その通り。そしてその次はジャパンCで、有馬記念も続く」
私がトレーナー君に好意を抱いているかと聞かれれば、間違いなく「はい」と答えるだろう。一生を添い遂げる男を選べと言われれば、迷わず彼を指名する。
だが。
「分かるだろう?今の私に、恋愛に現を抜かす余裕は無い」
「……」
私は”皇帝”だった。少女であるよりも先に、私はシンボリルドルフである必要があったのだ。
「私には歩み続ける義務がある。他のウマ娘とは、背負う物が違う。……故に君の恋人として過ごす時間はない」
もしトレーナー君からの告白が今でなければ、きっと私は顔を赤らめ頷いていた。少なくとも、こんな歪な断り方は絶対にしなかっただろう。
しかし今の私には、身近な誰かを気遣う気力がなかった。気を抜けない日々に心が荒んでいた。外面を繕うのが精一杯で、一番大事な人を大切に扱うことが出来なかったのだ。
「……今の君の言葉は、聞かなかったことにする。有馬記念まで勝ち続けるには、君の力が必要不可欠だ。……だからこそ余計な感情など抱かずに、私に力を貸して欲しい」
そう話すと同時、私はトレーナー君に背を向ける。そして全てのレースが終わったときに、改めて返事をさせてくれと心の中で願った。
口にはしなくとも、そのときこそ彼の手を握るつもりだった。
「そっか。……分かった、頑張るよ。俺はルドルフのトレーナーだもんね」
「ああ。私の横に並べる人物は、君をおいて他には居ない。期待している」
「うん。ルドルフの為なら」
無理に絞り出されたトレーナー君の明るい声に、胸が痛むのを感じる。しかし私は皇帝として立つことを優先した。
彼と笑い合えるのは、全てのレースを終えた後だけだ。
…………。
『ボクは……ボクは、シンボリルドルフさんみたいな強くてかっこいいウマ娘になります!!』
未だに夢に見ることがある。トウカイテイオーと名乗った少女の、あの眩し過ぎる瞳を。
彼女の言葉は私に力を与えると同時に、私をより強く玉座へと縛り付けた。今まで以上に敗北が許されなくなったのだ。
もし私が負ければ、あの子は失望するだろう。
そう思えばこの重圧は果てなく増していく。
――『シンボリルドルフ、天皇賞(春)を取りました!!』
追い込め。死の直前まで己を追い込め。心配せずとも、本当に死ぬ前にはトレーナー君が止めてくれる。
――『ジャパンCの一着はシンボリルドルフ!!無敗神話に王手を掛ける!!』
休息は不要。安堵も喜びも一切を捨てる。
全ては無敗を成し遂げた後で良い、と。大切なトレーナー君を労うのも、彼に笑顔を向けるのも、何もかもを後回しにした。
そして。
正常とは程遠い精神状態の中で、私は。
『シンボリルドルフッ!ついに有馬記念すらも手中に収めたぁぁ!!史上初の無敗ウマ娘が誕生しました!』
やり切った。未だかつて誰もが成し得なかった無敗の伝説を打ち立てたのだ。
「はぁ…ッ、はぁ……ッ!!!」
久しぶりに青空を見た。初めて心地よい風に気づいた。
私を押し殺そうするプレッシャーが空に散って、一気に世界が色付いたように思える。
「やった…っ!私はやったぞ……ッ!!」
時を止めていた感情が動き出し、溜め込んだ喜びが身体中を満たす。最後に感動して涙を零しそうになったのは、果たしていつだったか。
ふと観客席を見ると、トウカイテイオーが大はしゃぎして手を振っている様子が見えた。私は微笑み、手を振り返す。
空から歓声降ってくる。私は目頭を押さえながら、静かに天を仰ぐのだった。
…………。
そうして無数の祝福を名残惜しく感じつつも、一本道の地下バ道へと戻る。誰も居ない通路を一人歩いた。蹄鉄だけが音を鳴らす。
「ふふっ、トレーナー君も喜んでくれるだろうか」
私は一人の男の顔を脳裏に浮かべ、僅かに口角を持ち上げた。今からもう、彼と会うのが楽しみで仕方がない。
トレーナー君は私の控え室で待っていてくれるので、あと数分も歩けば彼と顔を合わせることになる。
「あぁ、こんなに明るい気持ちになったのは久しぶりだ。トレーナー君にも礼を言わなくてはいけないな」
ここ最近は、レースに勝った直後ですら「次のレースの相談だが……」と話が流れるせいで、彼と喜びあった記憶は無いが、しかし今日ばかりは違う。存分に飛び跳ね――そして思いきり抱きついてやる、くらいの気持ちでいた。
今日から私は、トレーナー君の前でまで皇帝である必要はないのだ。少しくらい甘えても構わないだろう。
「……い、いや待て。レースに気を取られてすっかりと忘れていたが……そういえば私は、彼に告白されていたのだった」
ふと思い出し、顔がやけに暑くなる。冷静になって考えると、これは一大事なのではなかろうか。
勝つことに必至になりすぎて、あのときは何も感じなかったが、今思えば唯一の想い人に告白されるなど、無敗記録に勝るとも劣らない奇跡である。
「わ、私がトレーナー君と恋仲に……?」
妄想してみた。手を繋いだり、二人きりで遊園地に行ってみたり、ハグしてみたりとその他色々エトセトラ。
もう絶対に幸せだ、と一瞬で理解できる。
「明鏡止水、落ち着けシンボリルドルフ。……彼に告白されたのは何ヶ月も前の話だろう」
私たちは付き合っていないし、まして付き合う約束をした訳でもない。だからトレーナー君が気変わりしてしまっている可能性だってある。
そうなれば私とて泣いてしまうかもしれないが、しかしそれは自分が撒いた種。心に余裕を持てなかった己の未熟さを恨むべきだ。
「だが!そのときはもう一度彼に振り向いて貰えるよう、私が努力すれば良いだけのこと。……恋愛経験が浅すぎて何をどうすれば良いのかは分からないが、エアグルーヴ辺りにでも相談すれば何とかしてくれる……筈だ。きっと」
何はともあれ。
まずはトレーナー君と一緒に今日を喜び、そしてその後にあの日に酷い断り方をしてしまったことを謝ろう。あわよくばお付き合いをお願いして……もし上手くいくのであれば、二人で旅行の計画を立てるのも悪くない。
「ああ、そうだ。これからの私には時間だってある。……トレーナー君と遊ぶ時間も、仲を深める時間だって好きなだけ取れるのだ」
私は跳ねるような足取りで控え室へと近づいていく。一刻も早くトレーナー君の顔を見たかった。
そして。
控え室の扉を開いて。
私の目に映ったものは。
「戻ったよトレーナー君、遅くなって申し訳――」
赤だった。
それはどろりと垂れる、重い液体である。
「……?」
目障りなほどに明るくて鮮やかなそれは。
血、のように見えた。
「……トレーナー、君?」
まるで、自ら胸にナイフを突き立てたかのような姿で。彼は死んでいた。
「あ………、え?」
ぐらりと視界が揺れる。無意識に退いた。
幸せな高揚感は一瞬で消えて、残ったのは背筋を凍らせる寒気だけ。咄嗟に悲鳴は出なかった。夢でも見ている気分だった。
「………え、え?」
私は左右にふらつきながら、ゆっくりとトレーナー君に近づいていく。焦点が合わないまま、何を見ているのかも分からないままに、愛しの人との距離を詰めていった。
そうしてぼうっと突っ立っていると、ふと机の上に一枚の紙が置かれていることに気づく。そこには何かの文字が書かれていた。
「これ、は」
私は首だけを少し回し、その紙に視線を落とす。
『約束は守ったよ』
約束。何のことだか分からない。
『ちゃんと有馬記念まで協力した。あの日から死にたくて死にたくて仕方がなかったけど、君の為に我慢した』
だがその一文を読んだ途端に全てを理解し、変な息が出た。遺書と呼ぶにはあまりにも短くて、内容の無いそれは『だから、もう――』と続き、そして。
『――さよなら、シンボリルドルフ。ずっと君のことが好きだった』
心が壊れる音がした。
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