SNSのバカ

この1、2年考え続けていたことがある。
何かを発表することによるリスクやデメリットについてだ。

SNSは発表しやすい場なので、人は対面というフィルターを持たないとこんなにも愛の無い発言ができるものかと、そして文字になるとこんなにも建設的な話ができないものかと戸惑っている。

今日のヤンサンのメルマガで清水さんがヤンサンをやめようとの考えを示した。
理由は、「フリップが邪魔で解説が入ってこない」というコメントをキッカケにどうするべきか自分の立ち位置がわからなくなったということだ。
もし、そのコメントを打った人が清水さんと対面で話していたら、「フリップはなぜ出しているか?」と質問していたかもしれない。清水さんは「初期からやっていてみんなのコメントを拾って理解しやすくするため」と答えていたかもしれない。コメントを打った人は「そういうことか」と納得していたかもしれない。では、こうしたらいいのではないか?と建設的な話で解決できたかもしれない。

そういう対話が一切発生しないのが、番組と視聴者で、ヤンサンが大きくなった故の理解の難しさとも言えるのかもしれない。

玲司先生の発言が大きく取り上げられることも増えて、コンプライアンスだなんだが増えてテレビ番組みたいになっちゃうのかなぁ。それもなんだかなぁと思ってしまった。

自分についての話に戻してみる。
番組で自分の曲が出たときの反応にとにかく驚いてしまった。

バンドをやってライブハウスで演奏してもその場にはせいぜい50人くらいしかいない。対面しているからアドバイスは受けてもアンチコメントを言われることはなかった。思っても良いと思わなかったら基本的には口にしないからだ。

アンチコメントを直接言われたとしても対話ができるからそこまで気にする必要がなかったのかもしれない。

SNSではアンチコメントが目についてしまう。

気にしないが正解。

けど、気になってしまう。

SNS上で悪口が書かれて対面で対処しようと努力したけど歩み寄れなかったら一緒に何かをすることはできない。それが周りに伝わらずに誤解されていることにも傷ついた。

気にしないが正解。

けど、気になってしまう。
だって、努力したんだもの。当然である。

LINE上で意思疎通ができない。そのままにしておくことはできない。

だって一緒に何かを作るんだもの。


小学校2年の娘に最近言われてハッとしたことがある。
「ママ、相手が傷つくことなら傷つかないように嘘ついてもいいんだよ。」「悪口なんて言わなくていいのに」
どっちが大人なんだ。

SNSのバカ。

できるだけ対話をしたい。めんどくさくても会いましょう。

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