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#113 看送ることを重ねること

おはようございます。また、寝坊をしていまったfumioです。
眠りに落ちるタイミングが悪いんですよね。しっかり睡眠時間が取れる工夫をしていかないといけません。自分のペースを自分で作れないと(再確認)

さて、本日のお題は、看送ることを重ねることです。
 最近の(勝手な私の感想)私が最初に「親」の葬儀を経験して以来、世の中に「儀礼センター」(社会的に通じるWordか?です。葬儀場?)が沢山増えたこと。また、70歳代から上の世代の方の交通事故(誰かを巻き込みニュースになる)がニュースになり易き印象があります。

 そして、高齢者を看取ることが毎年増えているこれは、私の仕事上で増えていることです。(これは、印象でなく実態です)

■高齢者の亡くなる年齢が伸びて高齢者の塊が多くなった
 まず、昭和50年代に田舎の私の身の回りでも自家用車を持つ、世帯が増えたこと・・この辺りの時期からは、自動車免許証を取得して、車に乗ることが増えた時期なので、この時期に30代だった方が生活の足として現在も車を運転しており、そのピークは戦後の団塊の世代につながっていきます。

 現在、70歳あたりからまだまだ高齢者人口と路上での事故は多発していくことと思います。この辺りの出来事以外にも「電話でお金詐欺」「火事」「犯罪」(高齢者の年齢による)、交通事故などのいりいろな高齢者の暮らし周辺で起きる問題をnoteするのかな?と感じています。

 そして、活動的で長生きした高齢者が85歳後半になって、体調を崩し出して私の周辺で介護等の相談を受けて、私たちのサービスをうけることになってきています。

■サービスを受ける期間の変化の兆し
 平均寿命、男性82歳、女性87歳ですがこの年齢はもう少し伸びるかもしれませんが、介護を受ける期間(平均寿命ー健康寿命)の期間が概ね10年間がもう少し短くなり・・・介護サービスを受けて、5年程度で亡くなるといった感じになるのでは?と感じています。

 となると、長生きする期間で生活の場所を探すこともありますが、体調を崩され亡くなるまでの場所と言ったイメージの生活の場所が必要になってくるのでは、看取り看送ることが増えていく・・・。

■看送ることを重ねていく
 また、高齢者の生活場所から亡くなる場所といった言葉がいいか?ですがこのこともnoteすることもあるち思いますが、今日は看送ることについて。

 親は、どの世代の方でも概ね「私の安全地帯」(いくつになっても親は親であり、子は子であること)です。だから、親が病に倒れて受入れることにはいろいろなことが起きていると思います。(自分や家族、姉弟の中で)

 私たちも「長い生活のお付き合い」で看送ること、「利用して間もなくのお付き合い」で看送ることとなると最近は後者が多くなっています。どうしてかというと、一つは、倒れる年齢の変化、療養する期間の変化もありますが、病院で過ごすまたは、亡くなりことより「生活の場」が多くなってきたことと、コロナ後面会がまだまだ厳しい病院から面会ができる施設など生活の場での亡くなることを家族が選ぶこと(病院がススメル)多くなっています。

■しっかり気持ちの切り替えができないこと
 「もう最期なんだ・・・」と何となく医師から言われて、私どものところで生活されますが、「準備はできていません」。

 家族の気持ちは、「過去の親から現在に至るまでの期間」の中にいます。

家族の送ってきた人生から見た「親」との関係性を振り返り、確認して踏ん切りを親の亡くなる過程で一緒に行います。
私たちは、その過程には、多くは介入できず高齢者のケアと家族の気持ちに寄り添いますが(他の一緒にいる高齢者も一緒に生活しケアをする)。

 かなりエネルギーを使います。慣れないことと慣れていかにといけないことがあり、ケアをすることでの経験と学びからくる質の高さもありますが、やはりエネルギーは持っていかれます。私たちは、仕事で繰り返しますが家族の方は、1回1回です。このギャップは埋めがたいです。

■私たちを利用する前には
 いままで生活の場としての「こんなはずじゃなかった」と家族と高齢者と話すことはあっても、「最期の場所」として意識してお話を家族としてきたことがないこと。
 相談援助が看取りの相談を踏まえた関係から入ることが多くなること、スタッフにもその気持ちを伝えて、受け入れてもらうこと、そして、その準備を介護から看取りまでをしっかり対応できる準備を、家族と高齢者の「点」の関係と私たちと高齢者の関係をつなげていく準備をしなくていはいけないと感じています。
 家族との利用前の場面で、どのようにイメージしていただくか?

今日も寝坊したのに長くなりました。 よい週末を(^^)/

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