当たり前の概念

8月14日、日曜日。
今日は第二次世界大戦が終戦した日の前日。
あの日から、77年が経つらしい。
そんな今日、ある番組がテレビで放送されていた。

『僕たちは戦争を知らない』

そんなタイトルの番組だった。


『僕たちは戦争を知らない』
その通りだ。
私たち若者は当事者と関わる機会もほとんどなく、暗い事実があったうえでこうして平和に暮らせているということにすら気付けていない。

番組中にある方が
「当たり前を当たり前だと思ってはいけない」
とおっしゃった。
これは現代を生きる私たちが見落としている大きな課題である。

77年前の明日まで、いや、それ以降も今もずっと、当事者たちは怯えながら生活してきたはずだ。
明日も生きていられるのか、本当に戦争は終わったのか、離れ離れになってしまった家族に再会することはできるのか。
大きな不安と、怒りを覚えたに違いない。

綺麗な水が飲めることは当たり前。
新鮮な野菜が食べられるのは当たり前。
電車が毎日同じ時間に走っているのは当たり前。
笑い合える家族がいることは当たり前。
帰る場所があるのは当たり前。

「当たり前」とは一体何者なのか。
私たちが「当たり前」と謳っているものは本当に「当たり前」のものなのか。
今回の番組を見て考えてみたが、当然、答えは出なかった。


私自身、戦争についての知識や関心は少ないほうである。
というよりも、ほぼゼロに等しいくらいである。
私も一人の若者で、「今が幸せなら」「戦争が起きない国に住んでいるから」と思う一人でもある。
それがたった今、今回の番組をきっかけに大きく変わった。
決して、「ジャニーズタレントが出演していたから観ていた」というアホな理由ではない。
もちろんジャニーズは好きだし、実際応援もしている。
私のような20歳前の若造が戦争について弁論するのは間違っているような気もする。
しかし、心が動かされたという事実がここにある。

幼い頃から、毎年8月になると独特な雰囲気が流れることを感じ取っていた。
8月、夏休み中でダラダラ過ごしているリビングから流れてくるのは「空襲」「原爆」「B-29」といった難しい言葉ばかり。
しかしここ数年、今まであれだけたくさんの特集を組んでいた媒体が、戦争という事実を手放したかのように、放送をしなくなった。
しているのかもしれないが、予告や言及が減った気がしていた。
規定がかかったのか、国民の関心がなくなったのか、何も知らない若者の精神状態を守るためなのか。

一番身近なもので言えば、ジブリ作品の「火垂るの墓」だ。
数年前まで地上波放送を幾度となくしていたのに、気がつくと放送されなくなっていた。
2022年も、今回のドキュメンタリー番組以外に、堂々と宣伝していたものがあっただろうか。

私たちのような若者、もしくはそれより少し上の代は、戦争に対してどんな意見を持っているのだろう、とふと疑問に思った。
実際に体験した当事者たちが少なくなっていくということは、平和しか知らない若者だけが増えていくということでもある。
あと30年もして仕舞えば、少なくなっている当事者たちもいなくなってしまう。
今を生きる者にとって「戦争」は非日常であり、想像のつかないものだ。
それを見せられ、受け入れろと言われても難しいに決まっている。
ただ、何かしらの形で身近に残しておくことはしておかなくてはいけないと思う。
あれだけの資料があって、あれだけの体験談がある。
それを教科書のような、資料集のようなものにするのはどうだろうか。
決して、今後それを活用していくためのものなんかではない。
当時の苦しみ、悲しみ、怒りの感情だけを綴った、一冊の資料集を。
「あの爆弾が〜」とか、「こうやって作った〜」などではなく、当事者たちの声をありのままに綴った資料集を。




こんなふうに真剣に戦争に向き合ったのは人生で初めての経験だった。
生まれて19年と2ヶ月。
毎日のように家族に囲まれて過ごしてきたからか、突然それを失う衝撃や悲しみを想像することができない。
受け入れることもできないだろうし、狂ってしまうだろう。
しかし、そんな理不尽を乗り越えた方々がいらっしゃる。
それを私たちが受け継がないで生きていくなんて、卑劣極まりない行為だ。
私の力ではどうもできない、が、考えることはできる。
ここ数年、希死念慮を抱えながら生きてきた私だが、それは間違いであったと気づいた。
「死」でも「殺し」でもなく、「生」を考える。
生きたくても生きれなかった人間がい流。
後ろ向きの気持ちが前向きに変わる瞬間が、私にも訪れた。
何不自由なく生活できているのは決して『当たり前』ではなく、そもそも生まれてきたこと自体が『当たり前』ではない。
せっかく今を生きているのだから、「死」を考えることをやめよう、と思えた。


これらの思いは一時的なものではない。
8月のこの時期にしか話題にならない議題を、ずっと心に留めておこうと思えたのだ。
今でも各国で戦争が起こっている。
現実的にありえないと持っていたことが現実と化してしまい、それをSNSで見られる時代にまでなっている。
いつ戦争が起こるかわからない。
日本は戦争をしてはいけないと言っておきながら、明日急に起こるかもしれないし、来年かもしれない、10年後かもしれない。
現に爆発物や銃を手作りできる知識を、日本人は知ってしまっているのだから。

情勢は常に変わっている。
「戦争に備える」のではなく、「戦争のない、核兵器のない世界にするには」を大きく掲げて、深く話し合うべきだ。


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