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書評・『長い道』

夫婦とは不思議な存在である。

血の繋がりのない全くの他人というスタート(古代の異母兄妹婚などはここでは想定から外す)から家族という最も近しい存在へと変貌する。
そこから共に生活を営んでいく二人の姿というのは落語に描かれる生活力溢れるおとっつあん・おっかさんから、現代文学で描かれる配偶者という存在に重みを感じる孤独な女性像まで様々だ。 その時代時代に於いて共感のみならず、世相や社会状況を反映する存在のようだ。

今回、書評に選んだ「長い道」の作者である、
こうの史代氏の事は、彼女の代表作の一つであり、アニメ映画化もされた「この世界の片隅に」でご存じの方も多いだろう。

柔らかいタッチの中に温もりのある絵が魅力的なこうの氏が描く「夫婦もの」作品である「長い道」について以下より語っていきたい。

物語は一組の若夫婦である老松 壮介と道を中心に展開される所謂「日常」ものに分類される。
その中に全くセリフが無く展開する話があったり、少し不思議なお話があったり…という構成で1冊が成されている。
夫である壮介は柔らかい表現を使うならば軟派でライトかつふにゃりとした性格の持ち主。それに対して妻の道はおっとりとしていて天然な性格。おおらかであまり動じることがない。
この夫婦の日常とその周辺にいる個性的な人々が明るく照らす日常。またその背後にある心の奥底の気持ちがこの作品の読後を深みのあるものにしている。

「明るさ」というのはそこにあるだけで救われる。仏が世の光明を照らすなどという大袈裟なものではなくても、人々がほどほどに穏健な生活を送っているだけで「明るさ」は見いだせるという事をこの作品は教えてくれるのだ。

ここからは私の私見のような見方になってしまう事に留意して頂きたいのだが、劇中で描かれている老松夫婦は血眼になって幸せを探したり、幸福とは何かと哲学的な思索はしてない。彼らはただ生活をし、その中で生きやすいリズムを掴む事に終始している。
幸福は生活の積み重ねの中で生まれ、気が付けば同居人のようにそこに普通に「いる」存在であるということを、意識的か無意識かわからないが彼らは理解している。
だから、壮介がその軟派な性格からやらかしても、道が天然故にポカをしてしまっても、彼と彼女が紡いでいく夫婦の根幹は揺るがないのである。

問題はあってもいいじゃないか。それが夫婦の生活さ。というアティテュードを老松夫婦は私たちに示してくれている。どうしても必要以上に難しく考える事がセオリーとなってしまっている今の時代にとって二人は理想の夫婦なのかもしれない。

追伸:私はちなみに未婚者です💦

ジョルノ・ジャズ・卓也

参考文献
こうの 史代『長い道【新装版】』(コアミックス 2022)

友人でありライターの草野虹氏と「虹卓放談」というPodcastをやっています。よろしければこちらも視聴していただければ幸いです。



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