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「らき☆すた放送から16年~リアルタイム世代の平成4年生まれが私論を語る~」

※最初にお断りさせて頂きたいのだが、今回の記事はほぼ私論である。普段のように、ある程度論理的な組み立てというよりは記憶と気持ちのバイアスが強くかかっている内容であるという事を了承して頂きたい。

さて、アニメ「らき☆すた」の放送から今年で17周年となる。私にとっての現在のようなオタク(これも現在のようなポップに表明出来る概念ではなかった)ライフがスタートしたのは2006年だった。  始まりは「涼宮ハルヒの憂鬱」

14歳で刺激に飢えている少年にとって、ハルヒはとにかく面白かった。今まで読んだことのない世界、観たことのない世界がブラウン管(デジタル化前だったのだ)から流れてきた。私は関西在住なのでサンテレビで視聴していたのだが、本編のみならず、その時に流れていたローカルCMの数々や面白そうな深夜アニメのCMすら忘れることが出来ない。

元々が天邪鬼でひねくれ者である私はクラスのみんなが好きなものや話をしているものには馴染めなかった(今はそんなことないが)。聴く音楽も教条主義的に洋楽のロックに限定していたし(毎月必ず買う雑誌はrockin`onとNEW TYPEであった)、当時の流行りドラマの話などは未だに同世代の間で盛り上がってもついていけない(代わりに06~08年くらいのアニメは大体はわかる)
今、考えると私はオタクという自己アイデンティティをオルタナティブ・ロック的に捉えていたのかもしれない。今までから考えれば非主流的だが面白いもの(結果的にはオルタナも深夜アニメもそこにシンパシーがあったネットカルチャーも巨大な成功を収める存在が生まれるのだが)を求めるその行動は60年代ならフォークソングやガロに、80年代なら宝島社の書籍やインディーバンドにハマるサブカル者になっていたかもしれない。生まれながらのオルタナ気質が数奇にも平成4年に生まれたことにより私を深夜アニメとニコニコ動画発のネットカルチャーに向かわせるのだった・・・。

「らき☆すた」を見始めたのは前述したサンテレビの深夜アニメ枠だったと思う。ハルヒ視聴の流れと同じである。ただ、一つ違ったことは「ニコニコ動画」が誕生し、ネットカルチャーの中で大きな勢いとなっていた。掲示板文化、深夜アニメ、ライトノベル、秋葉原・・・そういったオルタナティブを大きくネタにし、主人公たちが日常の中で楽しく過ごす作風の今作との相性は勿論抜群であった。テレビで観て、ネットで動画を楽しむという、私の10代半ばから後半にかけてのライフスタイルが「らき☆すた」で明確に確立したのであった。
深夜アニメやライトノベルのネタにはわからないものもあったがネットをフル活用し、どんどんと元ネタに触れていった。私にとってらき☆すたから放射状にオタクの世界が広がっていく感覚がしたのだ。そして、ネタがわかり、感覚を共有出来た時に作品に対し深い愛情も生まれていったのだった。

今考えれば「らき☆すた」は時代に愛された作品であった。深夜アニメは前年のハルヒの放映により良い意味で追い風が吹いており、ニコニコ動画の誕生によりOPや本編が動画でネタにされ盛り上がった。日常系という言葉がもう使われていたか記憶は定かではないが、現在の分類によれば日常系コメディの枠に入る先駆性があり、そして何より自由に深夜アニメやネットカルチャーを楽しみ、陰がなく明るく生きる存在であった主人公の泉こなたは今なお輝いて見えた存在であった。

パロディを主体とした作品はどうしても時代の制約を受けやすい。
しかし、今、改めて作品を見直してみると主人公と友人たちのテンポ良い掛け合いやリズム感。さらに自己開示して明るく生きる姿などは全く色褪せない。あの頃の楽しみ方とは変わったが今も「らき☆すた」は楽しい作品だったし、殆どのセリフや展開を未だに覚えていた自分があの時代に熱狂的に生きていた事も再確認出来たのであった。

ジョルノ・ジャズ・卓也

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