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ありそうでなさそうで、すべて当たり前ではなく有難いという話(※前置き長い)

Twitterのタグで「#フォロワーの8割が体験したことなさそうなこと」というタグがある。
数字は7割だったり8割だったりするけれど、多くの人が「あー世の中そういうこともあるんやろうね。でも、え?実際に話聞くのは初めてやわ!」という反応の中、「いやー実は私も…」という人が出てきてもおかしくないくらいの絶妙な頻度のエピソード。

まさに「#7割の人が体験したことなさそうなこと」が起こった昨年。からのまたもや事件が起こ(りつつある)今年。ショックよりも驚きよりも笑いが先に起こったのは関西人の血なのか感覚がマヒしているのか。

事情により詳細は書けないのでもどかしくもあるけれど、それはさておき何が言いたいかというと「今年はノンストップ!」とか大きいことを言いながら完全に停止状態な現状への言い訳です。ハイ。

撃沈してる訳でもなく、はちゃめちゃに忙しい訳でもなく、ふつうにご飯食べ、仕事し、ぐっすり眠り、ドラマもちょいちょい見たり、感染対策に気をつけながら野球やらお芝居やら観に行ったりと、まぁまぁどころかそこそこ(めっちゃ?)満喫しているのでご心配は無用なんだけど、なんかこう自分の現在地の座標だったり今後の方向だったりが見えなくて、バックグラウンド処理が忙しい。自分自身の状況がまどろっこしいせいか文章も無駄に長くまどろっこしくなりがち!

頭の中がカオス状態なので、人とがっつり話したり文章書いたりオンラインイベントに顔出したりするのがちょっとしんどくて(何気ないおしゃべりは楽しいし救われてる!)ちょっとお休みしがちだったのだけど、ジャーナリングとミーニングノートと感謝ワークだけは毎日続けていて、ふと気付いたことがある。「あるもの」に目を向けると「感謝」の気持ちに気づいて、「感謝」すると「感動」が増える。
「当たり前」と「有難い」って対極にあるものなんだなーとふと思った。
コロナ禍なのもあって毎朝起きると『あー今日も健康だありがとう』と思う。身体が思うように動かせて痛くなくてだるくもなくて幸せだーと思う。洗濯物の匂いがめっちゃ好きだーと思う。昼休みに飲んだコーヒーが滲み入る。風にざわざわしている木の枝が気持ちよさそう。毎日感動だらけじゃないか!

不安は尽きないし、極論感動だけでは生きては行けないのだけれど、「あって当たり前だから足りない(手に入らない)私は不幸」だと思うとどんどん不運の上塗りしていってしまうと思うのでほどほどにハッピー野郎で過ごそうと思う今日この頃(無理はしない)。気が向いたらまた更新します!(気弱)

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