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誕生日ケーキのロウソクで気づく、愛着障害。

そこまで 複雑な幼少期を過ごしたわけではないんですけれど、
どちらかというと 今で言う『毒親』と呼ばれる要素が  全くない訳ではなかったんだろうな、と 今なら思います。

ちなみに それを否定する気は 全くありません。(今となっては ですが)


両親たちは無意識ですが、現在も進行形で 特に母はコントロール傾向が強く、今でも 私含む子どもたち・孫たちを懐柔させて支配下に置こうとしますし、発言の端々にコントロールが垣間見えますし、相手や機嫌によって露骨に態度を変えます。


私は 幸いにも(?)結婚して地元を離れることになり 物理的な距離ができて 冷静に接するようになれ、

さらに 心のことを学び、提供する立場にもなり、

医者の不養生 的にならないように 自分にも向き合う機会を 人より こんこんと多くしていった結果、


まあまあ しんどくはありましたけど、両親と自分との間にあった 「しこり」のようなものは かなりクリアにすることができ。





自然と 両親のことが尊敬できるようになりましたし(一生無理だと思ってました)、

産んでくれて、育ててくれてありがとう・と 心から思っていますし、
(一生無理だと思ってました)

さらに 親に対しても、生まれてきてくれてありがとう・と 心底 思えるようになりました。
(一生無理だと 以下同文)



その心境の変化には 自分でもビックリしていますが、

『自分を変える』と 言っても、相手の言動に対するとらえ方・感じ方・考え方などを 変えていっても 根本的な関係性は ほぼ変わりません。

(↑これは15、6年 続けましたが、表面でしか変わっていなかったことに 気づいていませんでした)



『自分を変える』の 視点 そのものを変えていく必要があるのですが、その辺は 長くなるので また改めて。



(※ 余談ですが、『毒親』って言葉は基本的には普段 使いませんし、あまり好ましくない言葉かな と個人的には思っています)

**



親のことは 少し置いといて、私は 誕生日がお盆のど真ん中でして。
日本では 象徴的な、黙祷をする日です。


昭和の 田舎の、昔ながらの家庭だったこともあり、
盆正月は 必ず親戚が一堂に会する、というのが当たり前の光景でした。



特に お盆は だいたい母方の祖父母の家で過ごすのが恒例で、
物心つく前から、なんなら 生まれる前からそうでしたし、特にそれについては 諦めてるというか そこまで不平や不満もなく。



お誕生日会 とか めちゃくちゃ憧れたんですけど、ヨソのうちも ほとんどお盆で帰省してたり お墓参りとかで忙しいので、

夏休みに入ってすぐに 一回だけ開催して お友だちにも来てもらったことがあるんですけど、なんか当日じゃないし お祝いって言っても…… ねぇ。
みたいな、微妙な感じになったのを覚えています。笑

(今なら そうでもないんですが、当時は 当日に祝ってナンボ・みたいなとこ ありましたので。
なので 一回で終わりました)




盆正月に 親戚が集まってすることといえば、ただひとつ。酒盛りです。



もちろん 誕生日ムードなどはありません。
日頃の 鬱憤を晴らす、おっさんたちの集い。



母や おばたち 女性陣は 台所に籠りっきりで、おさんどん、(もはや 死語ですよね)

父や おじたち 男性陣は 食うや飲むやの、ザ・宴会。
酒が入ってるので 時に 口ゲンカまで始めたり、田舎の『寄り合い』て こんな感じなんだろうな、てイメージそのままです。



そんな様子に辟易している 私たち子ども勢は、時々 おかずをつまみながら 隣の部屋でテレビ見たり トランプしたり マンガ読んだり。



繰り返しますけど とにかく『誕生日』なんて 基本 誰も覚えておらず、雰囲気は ゼロ。皆無です。



さらに、兄と誕生日が数日しか変わらないため、私のケーキも 兄の誕生日に合同・というのが定番でした。

子どもの頃はもう 諦めてたというか、あまり 深くは考えてなかったけど、
「なんで お兄ちゃんばっかり」とか「私も 誕生日にケーキ食べたい」とかは、うっすら 思ってたような気は してます。

そして何より 物凄く覚えているのは、
ただでさえ ちゃんと祝ってもらえない誕生日に、酒盛りして 酔っ払った母が 急に思い出して


「あっ、今日 この子誕生日デーース✨拍手ーー」


みたいに 大声で親戚みんなに言って注目を浴びさせ(本人は 酔っぱらって覚えていない)、

かと言って もちろんみんなもお祝いしてくれる訳でもなく、ただ 話のダシにされて 茶化されただけで。



たぶん 多感な小学高学年か 中学生くらいだったので、本当に腹が立って 嫌で嫌で仕方なかった。

そのときのことは、30年近く経ってるのに リアルに覚えていて、おじいちゃんが あのへんでテレビ観てた、とか 居間の このへんで言われた、とか 今でも思い浮かべられます。
相当 嫌だったんですな。笑


そんな感じで、子どもの頃は特に あまりいい思い出がなかった、忌まわしき 我が誕生日。




それから 何年も経ち、社会人になって、兄に子どもが生まれたりして。

かわいい姪っ子たちが おねえちゃんおねえちゃん て(当時は 20代なのでね。今も 呼ばせてますが。笑) 慕ってくれるようになったりした ある年のことです。


姪っ子たちと 兄の奥さんが、ケーキと、プレゼントまで 買ってきてくれて、お祝いしてくれたんですね。誕生日当日に。
たぶん 生まれてはじめてだったんじゃないかな。


もう 嬉しくて 嬉しくて…… 感動 😭


部屋の電気消して ケーキにロウソク灯して、ハッピーバースデー。


あーー、あの憧れのやつやんーー

夢にまでみたお誕生日の ロウソク ふー やんーー



もう 泣きそうになって。


姪っ子たちには、『ふつう』の光景だったと思うんですけど。笑




もう 嬉しくて、
いざ ケーキのロウソク 吹き消すとき、


最後
「♪ハッピーバースデー トゥーユーー」
   ↓
🕯️ふぅーって消す
   ↓
パチパチパチ👏 おめでとう~!


てなると思うんですけど、



私も、お友だちとか 他の人のお誕生日で 何回も お祝いしてたはずなのに、




いざ 自分が消す側になったら、したことないからタイミング分からなくって。




なぜか、歌の序盤で テンパって、すぐ ふぅーーって 消しちゃったんですね。




あっ・って、
すごく変な空気になって。




そのとき 物凄く 「ハッ」としました。



我ながら、これは『ふつう』じゃないぞ・って。



ああ、

私にとって 誕生日って、みんなで どんちゃん騒ぎして 忘れられている日。


「そういうもの」


特に、可もなく 不可もなく、


「そういうもの」
「日常」
「当たり前」


って 思ってたんですけど、


本当は、お誕生日を祝ってもらえなかったこと、
すごく心に深い傷を残してたんだ・って、気づいたんですね。





本当に、全く 気にしてないと思ってたんですけど、
相当 私の中に残ってたんだ……て、まざまざと自覚させられました。 自覚させてもらえてよかった。



一年に一度の、



『生まれてきて おめでとう』



の 日は、

私にとって『おめでたい』日ではなかった。



それって、『傷ついて』も 全然 変なことじゃない。

= 生まれたことを お祝いされていない、て 無意識に思ってたんですから。




なんとなく、自分の価値の低さの原因のひとつにもなってたのかな、と 今になって思います。




なので、

自分に 子どもが生まれたら、たとえ 元日でも クリスマスでも、

必ず 当日にケーキを買ったり 作ったりして、ロウソクを立てて お祝いしてあげよう・って 心に誓ってたんですね。


実際には ムスメは、何の国民行事とも重ならない日に 生まれたのですが、

必ず ケーキにロウソクを立てて、ハッピーバースデー。


『生まれてきてくれて ありがとう』


って 伝えるし 心から思うんですけど、

最近になって、ふと 気づいたことがあって。




それは、


『誕生日だから 生まれてきてくれてありがとう・って 思ってる訳ではない』ってこと。


もちろん 誕生日は、一般的にも 改めて 出産を思い出してお祝いもするし、『ありがとう』って 伝えることも 多いと思うんですが、



「別に 誕生日じゃなくても、生まれてきてありがとう・って 思ってるやん」



て、思ったんですね。

誕生日に固執して、こだわってたのは 私自身だったのです。



当日でも、当日じゃなくても、兄と合同でも。

『生まれてきて、おめでとう』


言ってもらえてたのを、私が 受け取ってなかっただけなのかも。



もちろん、


『言ってほしかった』

『生まれてきたことを 肯定されたかった』

『ないがしろにされて 悲しかった』


そのことに対して、何よりも 誰よりも 自分の気持ちに寄り添ってあげることができたからこそなんですがね。




今は お願いした訳でもないんですが、旦那さんは 必ず当日にケーキを用意してくれるし、

当日 自分自身が 忘れてることもあったりですけど。笑



『生まれてきてくれて、ありがとう』

『あなたが生まれたことは、何よりも おめでたいことなんだよ』



もし お誕生日に 受け取れなくても、
普段 感じることができなくても、

受け取る気持ちさえあれば、いつでも 私たちはそれを受け取ることができる。




…まあ でも、
お子さんが ちょっと 特殊なお誕生日の親御さんは、
よかったら ちょっと 大げさすぎるくらい お祝いしてあげてほしいな、と 思う 今日この頃でした。笑


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