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2004.11.3の思い出

ある日、TwitterのTLにあるニュースが流れてきた。

FC東京がルヴァンカップの決勝に進出した、というニュースだ。このニュースを見た時、私の中の大切な思い出の一つが、鮮明に蘇ってきた。

記事内の選手の敬称を省略させていただきます。ご了承ください。

2004年10月31日。私は広島にいた。FC東京のアウエーゲームを観戦するためだ。その前に行われた準決勝で延長戦前半開始すぐのVゴールでヴェルディに勝利したFC東京は、はじめてのカップ戦決勝に進出を決めていた。

広島戦は確か引き分けだったと思う。でも、そこにいたサポーターはみんな、11月3日は勝利を!との思いでありったけの声援を送っていた。

それより少し前、決勝進出を決めてから決勝のチケットを購入しようとしたが、売り切れていて買えずにいた私に朗報が飛び込んできた。FC東京がSOCIO会員(年間チケットを持っている人)にチケットを販売するという情報だ。私と母はその年からSOCIO会員になっており、FC東京の用意してくれたチケットを無事に購入することができた。

そしていざ、決勝の舞台国立へ。

11月3日はとてもよく晴れていた。FC東京が用意してくれたチケットを握りしめて、私たち親子は国立に足を踏み入れた。普段はバックスタンドで観戦していたので、ゴール裏に入るのは初めてだった。初めてのゴール裏は、初めての決勝戦に浮かれている東京サポーターでいっぱいで、自然と気持ちが高揚してきた。

ふと、スタンドを見ると、東京のゴール裏以外は真っ赤に染まっていた。決勝戦の相手は浦和。当時のFC東京から見れば強く、サポーターが多い勢いのあるチームだ。サポーターの数でも圧倒されていた。

当時はヤマザキナビスコカップという名称で、ヤマザキのお菓子が配られたりした。決勝という舞台は全てが特別のように思えた。

そしていざ、選手入場が始まった。普段のホームゲームで聞いている選手紹介の曲が流れてきて、カップ戦なのに粋な計らいだなぁと思った。ゴール裏のサポーターが選手一人一人の名前をコールしたり、チャントを歌い、それに選手が応じる。特別と思っていた舞台でも、いつも通りの光景がそこにあった。

試合は圧倒的に浦和の時間が多かった。とにかく猛攻で、それを全員で守る東京、という時間が長く続く中、確か前半30分前後でDFのジャーンがレッドカードをもらい退場してしまった。FC東京はそれから延長戦、そしてPKまでを10人で戦うことになってしまった。

でも、不思議と不安はなかった。FC東京は10人になった時、あまり負けたことがない、という印象が私の中にあったからだ。

FC東京の守りはますます強固になった。浦和の猛攻はますます勢いを増し、GK土肥が片手でセーブしたシュートもあった。この日土肥は何本セーブしたんだろうか。片手で両手で、とにかくゴールを守り続けた。

そしてついに0-0のまま、延長戦を戦うことになった。もうすでに交代枠はなく、延長戦前にストレッチやマッサージをピッチ上で慌ただしく行いながら、ミーディングをしていた。延長戦も浦和の猛攻を必死に防ぐ東京という図式はかわらなかった。しかし、なぜか浦和のシュートは一本もゴールに入らなかった。

そして運命のPK戦。PK戦は東京側のゴールで行われることになった。細かいことは忘れてしまったが、浦和は一人外して、もう一人は土肥がセーブした。対する東京は梶山が外した(違ったらごめんなさい)以外はきっちり決め、PK4-2でついにカップ戦初優勝を成し遂げた。

その瞬間のゴール裏はまさに狂喜乱舞だった。知らない人同士がハイタッチして、喜びあった。それよりも最後のFC東京のキッカーをゴール横で見守っていた土肥のことを覚えている。最後のキッカーのPKが決まった瞬間、ピッチに崩れ落ちるようにうずくまっていた。そこにみんなが駆け寄る。

国立の表彰台でカップを掲げるのを、見守った。紙吹雪が舞う中、カップを掲げた選手をありったけの声で祝福した。

延長戦、そしてPK戦まで戦い、表彰式の時には夕暮れを迎えていた。

その後、味スタで祝勝会をやる、というアナウンスがあった。母に行く?と聞いたら「もちろん」と言いながら家にいる父に電話していた。この日、SOCIO会員でない父のチケットは取れなかったので、父は留守番していたのだ。試合前に母は、「今日はパパが家で待ってるから、すぐ帰るよ」って言ってたけど、忘れたフリをした(笑)もちろん、その次の年から、父はSOCIO会員になった。

飛田給から味スタまでの道のりは、浮かれるFC東京サポでいっぱいだった。夜のスタジアムで全員で優勝の喜びを分かち合った。ナイターの照明に照らされたピッチに立つ選手たちは、みんな誇らしげだった。心から嬉しいと思った、素敵な時間だった。優勝記念のピンバッチが無料で配られていて、運良くもらうことができたことも覚えている。

あの時、味スタで歌ったYNWA。素敵な時間だった。

2004年ごろのFC東京は、日本代表選手が増えてきて、少しずつ強くなっていっているチームだった。一喜一憂しながら、少しずつ強くなっていくチームを見守っていた。そして掴んだタイトル。初めてタイトルを掴んだ瞬間に居合わせることができたことが幸せだった。

あの頃のFC東京はガンガン攻撃、ダメなら全員戻って守備、みたいなところが面白かった。右サイドの石川や加地、左サイドの戸田や金沢がガンガン上がってクロスを上げる、サイド攻撃が魅力的だった。そして最後はルーカスがシュートを決めてくれる。今野が、梶山が試合をコントロールして、最後には土肥が控えている。ものすごい強いチームではなかったが、見ていてとても面白い試合が多かった。

FC東京の応援をして、誰かのためにこんなに声を張り上げたり、熱くなったりすることがこんなに楽しいことなんだと知った。知らない人でもスタジアムで隣になって、ゴールが決まると一緒に喜んだりする一体感は最高だった。誰かを一生懸命応援することが、こんなに気持ちが高揚して、楽しくて、生活にメリハリができて、そしてちょっと切ない、ということをFC東京は私に教えてくれた。

そして10年以上たった今も、鮮明に覚えている思い出をくれた。

仕事が異動になり、スタジアムに通えない距離に引っ越さなければならなくなり、今はSOCIO会員ではないが、FC東京をずっと応援し続ける。

あの2004年11月3日の光景を、私は一生忘れないと思う。





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