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見知らぬ人と話をするな


フランス(スイスも!)で

素敵だなぁと思うことの1つに

「知らない人とも会話を楽しむ」ことが

あげられる。


昨日も、そうだった。

公園で2人の坊やを連れた

お母さんがいた。

長男さんがかなり激しくぐずっていたのに

お母さんが涼しい顔をしてやり過ごそうとしていた。

弟さんも無言でお母さんにくっついて移動している。

それでも長男さんは

あの手、この手でお母さんを刺激することに挑戦する。

はたから見ると可愛らしいけど

自分が親だったらと想像するだけで

この肝っ玉母さんの素晴らしさに感激した。

通りすがりに

「お母さん、大変ね!偉いね!」と声をかけた。

彼女は苦笑いしながら

「本当に大変よ~!」って返してくれた。



今日も、そうだった。

義理家族と

フランスで1番大きいという

古代コロシアムを観に行ったのだが

私はなぜかその隣にたたずんでいた

小さなチャペルが気になった。

1人でチャペルに向かう途中、停車していた人とのすれ違いに

「こんにちは」と挨拶をした。

ここ(ヨーロッパ)ではごく普通のこと、

というかエチケット。

私はそのままチャペルに向かおうとしたが

アジア人がいたことに興味をもたれたのか

そのまま話しかけられたので

会話を始めることにした。

と言っても

「何処から来たの?」

「出身はどこ?」と、

よくあることなので

お手の物。

すると、

「あぁ、日本ね。知ってるよ」と

話し続けたので少し聴いてみる。

かつて、神父さんだったようで

日本でも働いたことがあるらしい。

ジュネーブにも詳しいらしく

私の街も「あぁ、その辺も知っているよ!」とのこと。

奇遇にもご縁を感じた。

再度、挨拶してチャペルに向かう先に

義理家族や夫がいたので

彼とのことを伝える。

夫たちも

チャペルを観に行くことにした。

すると、神父さんはまだいたので

夫たちに紹介する。

と!

なんと!!

知人だったのだ!!!

彼は義理両親近くの教会でも

働いていたらしい。

ご近所さんもよく知っていて

義理兄弟との会話はどんどん花開く。

そんな会話の中で

彼が話してくれた内容に感動した。

“Chacun a une place dans le monde, personne n'est de trop”

(Everyone has a place in the world, no one is too many)

「誰もが世界のどこかに居場所がある。誰かが居すぎるということはない。」

※翻訳アプリでは「人間到る処青山あり」と自動翻訳された。。。

「居場所がある」と感じられることが

いかに幸せなことか。

見知らぬ人との会話で私が改めて感じたこと。

帰り道に寄ったところで

思いもよらないでき事が

さらにあった!

なんと

昨日の親子と再会したのだ!!!

彼女も私たちを覚えていて

「今日はこの子は落ち着いているのよ^^」と

笑顔で話してくれた。

何かを達成したとか

大きなことではないけれど

こんな時間が人生を豊かにしてくれるのでは

ないだろうか。

誰とでも話せる安全な社会が

もっともっと広がることを願いたい。

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