無題

※この記事は「Anti-Aging Record Advent Calendar 2019」5日目の記事です。

 中学生から高校生くらいの時期にかけて、サカナクションにひどく心酔していた時期がある。ありふれているのに感傷的なベースラインや新鮮なコード進行、近未来的な電子音やアコースティックで懐かしさを漂わせる旋律、要するに彼らは音楽という網を広く張り巡らして僕の心をとらえたのである。サカナクションの曲は悉く買ったし、通学中も勉強中もずっと聴いていた。友人に勧められたり、自発的な思いもあったりして、まれに他のアーティストの作品にも触れてみたりするのだが、結局サカナクションに戻ってきてしまうのであった。なぜ今こんなことを書いているかというと、最近久しぶりに『涙ディライト』という彼らの作品を聴き、言いようもない感動に打ち震えたからである。これは僕がサカナクションの作品の中で最も好きだった曲なのであるが、長らく音沙汰なかった旋律に懐かしさを覚えたとか、そんな単純極まる思いだけを抱いたわけではない。当時考えていたこととか、風景とか、旧友とか、そういうかつて僕という一つの世界を形成していた夥しい要素が、たった一曲の音楽を引き金にして、色鮮やかに脳裏に浮かんだのだ。これは衝撃的な経験だった。

 いつから彼らの作品を聴かなくなったのか、はっきりと思い出せない。もしかしたら新宝島のリリースくらいから疎遠になっているかもしれないが、そんなことはさほど重要ではない。あれほど一つ一つの曲に対して感動を覚えていたはずなのに、今では生活の中に彼らの音楽が入ってくることなぞ微塵もない、そういうわけで不思議の念に打たれているのだ。思えば大学に入って新しく始めたことに忙殺され、自分の趣味嗜好は10代のころと比べて全く変わってしまったように思われる。大学には優れたコンテンツがたくさんあるので、できるだけ質の良いものに身を浸していようと意識的に努力したのも理由だろうが、それにしてもこう短期間で人は変わってしまうものなのか。きっと凡そ人間というのは元来健忘症なのだ。ほんの昨日まであった自分すら大方忘れてしまい、そこに新しい情報がひっきりなしに入ってくる。生きている間、人間は変化しつづけるという運命から逃れることはできない。ちゃんと生活している以上、恒あれというほうが無理なことだ。それでもたった一つの音楽によって、僕を取り巻いていた過去、そして何より過去の自分を蘇らせることができた。何も『涙ディライト』という曲にそういう力があるというのではない。音楽にとどまらず、一葉の写真でも、一冊の本でも、アニメでも、自分が一時精神を寄せた何かには、その人の「時間」が、カプセルのように保存される。年月が経ち、ふとした瞬間に開けてみるとよい。歴史は思いがけないほど深くその人に根付いている。

 音楽を語るものは音しかない。詩を語るものは言葉しかない。「○○を表現してみました」と言ってみたところで、創作物それ自体の受け取り方は十人十色だろう。だが一つ確かなこととして、受け取り方の人生に、ただの情報の配列がくっきりと刻まれる。これはなかなかに不思議で面白いことではないか。すると僕らは、実は時間というものに対抗する手段を無意識のうちに手にしているのではないか。社会だけなら蟻や粘菌なんかも持つが、歴史や思い出は人間しか持っていないはずだ。そうした人間だけの特権を発動する条件はただ一つ、昔を思い出してみることだ。自分のことだけでなく、他人のことも思い出す事だってできる。思い出すとは、対象の過去を心にありありと思い浮かべることだ。そのとき対象もまた僕に寄り添ってくれるはずで、そこには暖かい快い関係しかないし、自分がある時間を生きていたという確かな証拠だけが鎮座する。しかし、こういう記憶の発掘はそう簡単にできるものではないので、たとえば音楽という補助手段が非常に有効となるのだ。音楽を聴くことによって五感の一部が完全に時間を逆行するからだ。あとは目を閉じて、心穏やかに待っているとよい。忘れていたはずの「私」が、向こう側から音もなくやってくるだろう。そして進みゆく時間に対し為す術もなかったはずの生が、しばらくの間躍動し始めるだろう。

 もっとも物理専攻の人間がこういうことを言うのは変だと捉えられるかもしれないが、時間は不可逆であるように見えて、実はいつでも立ち戻ることができる、これが最近の僕を支配している一番大きな考えである。どうやって立ち戻るかといえば、くどいようだが、虚心坦懐に過去を思い出そうと努めればよい。そしてここで言う時間とは、その人の生そのものである。だから、昔失くしたものにも、かつての友にも、亡くなってしまった人にさえ、出会うことができる。それくらい、僕は人の想像力というものを信じているのだ。

 確かに、思っている以上に人の考えは素早く変化していく。何かができるようになったとき出来なかったときの記憶を取り戻すのが難しいように、過去の自分の精神を思い出すのは非常に難しい。ただ、幸いにもAARに所属している身だ。昔作った音楽を頼りに、当時の自分に会いに行ってみることもできるかもしれない。それにもし成功したなら、なかなか楽しいことに違いない。