病人であっても(一大決心) 長文投稿

病気で寝込んでいると、他人は『大変ねぇ』と言ってくれる人も居る。
家族は『ずっと、そうだから仕方ないねぇ』と言いつつ慣れてしまう。
中には『病人で寝込んで、人の世話になって、タダ飯喰らって』と誹謗中傷する人も居る。

私にとっては、確かに他者の言うことがツラい時もあるが、そんな事は取るに足らない。
それよりも経済状況が逼迫して、医療費の負担が増え、通院費を捻出するために食費を圧倒的に切り詰め、病気を良いように利用して最低限の摂取カロリー(ほぼ基礎代謝量相当分)しか摂取しない食事をして、1日1食のご飯に目玉焼き程度の食生活を3年以上続けて来た。

身体はどんどんと痩せ、体力も筋力も無くなり、動けば食べなければ寝込む体力すら無くなってしまうから、と家から全く出ず、家の中でも必要最低限しか動かないように、わざとなった。

毎日の栄養源は、起き抜けの500cc一杯の牛乳と砂糖たっぷりの珈琲だけ。
牛乳でタンパク質を摂り、砂糖でブドウ糖を摂る。
脱水症を起こさないために、枕元に水差しを起き、目盛の付いたコップで水道水を2リットル摂るように管理する。
たまにビタミン補給のために緑茶を飲む。
冬季の風邪予防と喘息防止のために、生姜と蜂蜜にレモン汁を加えた、しょうが湯を作って一杯飲む。
そんな生活だ。


ある日、成人しアルバイトもしている家族が、流石に食べる物の無さから「ひもじい」と泣いた。
本人は外出先で友だちと外食や買い食いをして食べては居て、自分に掛かる携帯代や諸費用を賄って居るが、アルバイトの収入が少ない時には私の収入に頼らざるを得ず、自分の食事すべてを外食で賄う訳にも行かず、私が切り詰めて食事をして居ない手前もあって苦しいのだ。
この家族も実は遺伝して私と同じ病気を患い、通院しているため、通院費を自身で支払っている。

年末に、その子がアルバイト先でインフルエンザ感染し、看病していた私も感染、二人でインフルエンザに罹患した。
けれど支出の多い時期だったために、金銭が工面出来ずに病院へ行けなかった。
「所詮ウィルスは退治出来ず、治療薬で治る訳じゃなくて症状を緩和する薬を貰うだけで寝てるしかないのだから」と言って、通院先で貰っている鎮痛解熱剤を飲んで寝込んだ。
この時、学生だった家族は本来なら病院で診断書(実費負担)を貰えば、出校停止措置で単位に影響が無かったのだが、通院自体が出来なかったために1週間分の単位を落としてしまった。


そうして耐え凌いでいる内に、私はこの状況を変えなければ生活も身体も破綻してしまう!いや既に破綻している!と、ずっと解決策を考え込んでいた。
そこへ「ひもじい」と泣かれてしまった事、ずっと以前から『世の中、生きて行くのに病人や障害者も関係ない』そう思ってきたこと、他者の「国の税金でタダ飯喰らっても生きる権利の主張かよ」という批難や「働いている人間だけが納税者」という蔑視の問題を考えて来たこともあり、考えた。(私は個人的な事だが生活保護受給はしていない)

先祖供養の相談をしているのに何故か檀家の住職から『命を引き受ける覚悟はあるのか!即ち死ぬ覚悟を以て事に当たろうと出来るのか!』と烈火の如く怒鳴られた。
それを丸2日間考え込んで、それが決め手になった。

私は、よし!死ぬ気になれば成せば為るだ!
そう決心した。

そして、少しでも稼げれば破綻せずに済む、掛からなければいけない時に病院にも行ける、米や少しの食糧も買って「ひもじい」思いをさせずに済む、と思いパートの面接に行った。
病気を患っていること、定期通院が必要なこと、障害者手帳の保持者であること。
すべてを正直に話した。
採用します!と一発で返事を貰った。
私の25年前の仕事のキャリアと経歴、仕事に対する姿勢が買われた結果だった。


この身体で、この重病人状態で、外出も家事もろくに出来ず、障害者ヘルパーを本当は依頼するような立場で、その勤務条件で働いたら自分がどうなるのかくらい百も承知だ。
倒れても構わん。
休みの日に、帰宅してから、のたうち回って寝込んでも構わん。
疼痛緩和の痛み止を何錠飲んで凌いでも構わん。
死んでも構わん。

坊主が何を感じて私に怒鳴ったのかは知らないが、所詮生き物は産まれた時から皆平等に死に向かって生きているのだ。
私が病人だ何だは関係ない。
ただ健康な人より少しだけ、死に近づくリスクが高いだけのこと。
大袈裟な物言いをして、、、まったく。

家族のひもじい発言にも腹が立っている。
自分で「ひもじい」と言いながら、買い食いや外食や遊びに使うお金があるなら、食糧買ってきて自炊して節約しながら楽しめよ。
お菓子食べるなら腹の足しになる物買えよ、バイト先で喉が渇くからとペットボトルのジュース買うくらいなら、水筒にお茶でも水でも入れて持って行けよ。


何くそう‼
そう思ったから、無理を承知で、成せば為ることを身体で見せてやる。
もし無理が祟って倒れたら、倒れるまで頑張るとはどういう姿なのか、死ぬ気でやるとはどういう姿なのか教えてあげるよ。
『必死に生きる』を見せてあげるよ。
そして、いかに自分が甘く、下らない事を嘆いて、成すべきことを為して居なかった結果なのかを教えてあげるよ。

私は一応大人です。
大人には、それなりの付き合いや保たなければならない体裁もあり、お金が掛かります。
趣向や嗜好品も、それなりにあるものです。
酒も飲まず、遊びも付き合いもせず、道楽もしない。
”病人”を理由に、すべての活動を制限しているだけです。
唯一、珈琲と煙草だけです。
それを「ちょっと珈琲と牛乳、砂糖の在庫多くない?」や「煙草やめたら生活楽になるよねぇ?」と言われる始末。

如何なものなんでしょうねえ。。。

食べるものも食べずに治療処ではない!
滋養強壮の薬なんか飲んでも焼け石に水!
と大学病院の通院を止めたわたしです。


さてさて、今後どうなることやら、、、


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