神田明神と海老のアヒージョ
午前中に集落の人足を終えて、充実した空腹を満たす午後のイタリアンランチ。リラックス出来る店舗の雰囲気がなかなか良い。こういう事ってありそうでなかなかないから、とても貴重で嬉しい時間。
食後にコーヒーが運ばれてきたあたりで、夕飯はアヒージョにしよう!と啓示的に閃めく。
実は先日行きつけの居酒屋で、とんでもなく美味い海老のアヒージョを食べた。
海老やカニに殆ど執着のない僕にとっては、海老のアヒージョなんて、所詮そんなもんだろ…と思っていたのだけれど、先日食べたのは有頭海老でアタマもすべて食べられる上に、オイルには強烈な海老の出汁が出ていて、思わずバゲットをおかわりしてしまったくらいだった。
そんなアヒージョを作ろうとまず向かうのはお気に入りのブーランジェリー。アヒージョにおいてバゲットは海老よりも大事だ。美味しいバゲットを手にすると、それだけでもう人生のアドバンテージを得た気になる。
でも…バゲットは売り切れ。
目の前に取り置きの山があるから、余計にショックだ。
でも、ココのバゲットでなくてもイイや…と二軒目のパン屋に…大行列では入る気なし…。
はいはい、スーパーにあるので良いですよ…
というわけで、スーパーに。
このスーパーは海産物が充実してしている。目指すは有頭海老。いつも置いてあるから、コイツは余裕…と思いきや、
アタマはどこにも見当たりません…。
仕方なく、首なしのブラックタイガーを購入して、殻で出汁を取ることに…。
でも、実際にやってみるとアタマほどの出汁はなく…期待通りには行きません…
いつもは当たり前に売っている食材が、本当に必要な時には売っていない
という現実。
今晩は、蜃気楼の様に有頭海老のアヒージョとお気に入りのバゲットがチラつき、取りに行こうとすると、アタマのない普通の海老のアヒージョと普通のバゲット…というかフランスパン…を手にする…という夕食。
サイドメニューで頑張って、首無し海老の供養をしながら、ここにはない海老のアタマに想いを馳せました。
アタマとカラダが別々なのは可哀想ですよね。
平将門のカラダが首を求めてさまよい歩き、それを鎮めるためにそのカラダをカラダ明神様として祀ったのが、言葉がすこし変わって「神田明神」です…っていう話を思い出しました。
神田明神と海老のアヒージョは深いところでつながっていたのかもしれませんね。
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