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ツンツンおばさんの話。

世の中が大まかに接客する側とされる側に分けられるとしたら、それぞれに感じる印象の記憶は、圧倒的に後者の方が多い。

という前提でツンツンおばさんの話をする。
僕がある日国道の交差点近くにあるレストランで遭遇したツンツンおばさん。ツンツンのツンはツンデレのツンである。つまりは、ちょっとスカした感じでツンツンした接客をするおばさんがいたのである。
彼女は終始ツンツンしていて、僕がオムライスを3回スプーンで口に運ぶ頃には、僕の中の審査員満場一致でツンツンおばさんの称号を与える事となった。こんな事は実に稀である。

だから何だ?と言われればそれまでだけれど、この話はコレで終わらない。というか、どちらかが、(どちらかと言えば僕が…)思い切って話しを切り出さないかぎりは、きっとずっと続くんだろうな。
例えば「スミマセン、どうしていつもツンツンしているのですか?」と僕は彼女がオーダーを取りに来た時に切り出すべきなのかもしれない。

ひと月程置いて、出張がえりに僕はまたツンツンおばさんのお店に立ち寄る。オーダーはいつもオムライス。今でも年に5回ほど利用するけど、まず、オムライスが美味しくなかった事はない。ある意味おばさんがツンで、オムライスがデレのツンデレが成立しているのかもしれない。
ツンツンおばさんはやはりツンツンしている。
僕の脳内でどのような変換が行われているのかわからないが、薄ら笑いしているようにすら感じられる時もある。
オムライスを待っている間に、僕と同じ様な感覚に囚われているお客さんがいるんじゃないかとほかのテーブルを見渡す(結構流行っているんです)のだけれど、誰もツンツンを気に留めていない様子。
コレはもしかすると、料理がデレという仮説も一理あるのかもしれない…とテーブルで強くなる鼓動を抑えるように水を飲む。水を飲みほすと、またツンツンしながら水をサーブしにくる。これまた、ドキドキする。

全てのお客さんにとって、料理がデレでなくなったとき、色んなバランスが崩れることになる…きっとツンツンおばさんの影にツンとした角が見えるようになるんだろうな。そのツノは僕もまだ見た事がない。だって、オムライスのベールに隠されているんだもの。

だから…なのかどうなのか…、僕は未だにオムライス以外をオーダーした事がない。
もし彼女が僕のことを奇跡的に覚えていてくれて「あれ、今日はオムライスじゃないんですね」なんて言ってくれたら、僕の中のツンツンおばさんはシャボン玉が弾けるみたいにそこで消えて無くなるのだけれど、あいにくその勇気を持ち合わせてはいない。それは、お互いにとってあまりにもリスキーな行為だからだ。

たまにバックヤードで若いスタッフと話す彼女を見る事がある。驚くことにそんなにツンツンしておらず、むしろ笑顔まで見せている。その笑顔は僕にはとてもまぶしく見える。

先日もツンツンおばさんの店の前を車で通った。通るときは、利用するしないかかわらず、車窓から必ず彼女の姿を探す。
最近はツンツンした彼女を探しているのか、眩しい笑顔を探しているのかわからなくなる。

きっと彼女は今日もツンツンしながらカウンターの奥で眼光するどく店内を見渡している。
僕はただただ、今日も料理がデレである事を祈ってやまない…

もしかすると、僕は彼女に恋をしているのかもらしれないな…

って言うのが、ツンツンおばさんのお話。
noteの初投稿にするべきか悩んだけれど、ブログを更新しなくなって2年が経って、久しぶりに出たちょっと書いてみようかなという衝動を大切に、晴れて投稿することになりました。

たまに読んでやってください。

2016年7月7日更新「ツンツンロス〜ツンツンおばさんの話のつづき」へはコチラからどうぞ。

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