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マズイがウマイに変わる瞬間

小学生の頃、よく行く駄菓子屋にはお好み焼きの鉄板が置いてあって、その卓を8人くらいの小学生のでぎゅうぎゅうに囲んで、もんじゃ焼きを焼いて食べた。(僕の地元八王子では「おべった、おべった焼きと言っていた)
味噌汁椀一杯で100円。きりいかなどの追加トッピング制度もあった。僕らはもっぱらノーマルバージョン。
あの頃の駄菓子屋内の子供社会は、今思えば実にいろんなコトを教えてくれたと思う。まさに社会の縮図だ。
あの頃の100円の感覚は今で言えば1000円くらいか?うまい棒や、チロルチョコが本当に10円で買えた時代、尾崎豊的に言えばあったかい缶コーヒーの温もりが100円で買えた時代の話である。

当時の庶民的コドモにとって駄菓子屋の10円の価値は計り知れない。10円があるかないか、足りるか足りないかは、10かゼロか?という価値観。コレ、わかるかな…。

もんじゃ焼きを食べると、その塩っぱさに喉が乾く。水を飲めば済む話なんだけれど、背伸びしたい盛りのボクらは、お父さんの飲むビールのようにジュースを飲んで外食感覚を味わいたい。今思えばコドモだけのこの駄菓子屋社会は、飲食店における立ち居振る舞い方の学びの場だったのかもしれない。

そこで立ちはだかる10円の差がデカい。
瓶のコカコーラが60円。コレはお金持ちの飲み物だった。僕らはポケットの中で50円を握りしめて、10円足りないことをなげく…。さっき梅ジャム買わなきゃよかったな…とか…。


そこに登場するのが、50円で買えるドクターペッパー。オバちゃんは「ドクターペッパーなら50円」だよと言う。そんな名前聞いたこともないけど、どうやら形状はコカコーラと同じだし、色も同じだから、とりあえずドクターペッパーデビューする。
ところがだ…。とってもマズイのである。飲めたもんじゃない。思わず口から噴き出したのを覚えている。本当にビックリした。

コレが10円のもたらす差なのだ…。

でも、常連の上級生(小学生6年生)は、コレがたまらなく美味いという。彼は気だるそうに卓に入ってきながら「おう、お前らも来てたのか?」と僕らに声をかけイスに座ると、「オバちゃん、おべったに切りイカと青のり追加して、あと、ドクちょうだい」とオーダー。ドクとはもちろん、ドクターペッパーのコトだ。

その上級生のオーダーの仕方が、僕らにはとてもクールに映る。あの気だるく言うのがカッコいいよな…とか、彼の言い放ったドクという響きのカッコよさもかなりイカしている。

次回から僕らも上級生をマネて同じ注文をする。ポイントは「気だるそう」にと「ドク」の発音だ。オバちゃんは急に大人びた僕らを見て「はぁ?」という顔をしながら、取り敢えずドクを出す。

意を決して再びドク注入…。マズイ…。でも脳内にはクールな自分がいるから、噴き出す程ではない。

4回目くらいの時、またあの上級生と一緒になった。「おお、お前らか、久しぶりだな…」。彼が「オバちゃん…」と言い始めると「わかってるよ、いつもんだろ」と言って、自動的にドクが出てくる。「ところでお前らドク飲めるようになったの?」と彼。

「はっハイ。ウマイっすよね、ドク…」と言ってみる。「お、そうか、それは良かったな。50円で得だしな…」そう言うと「オバちゃん、こいつらにもドクやって!俺が出すから」。
コレはビックリ!ツマリはオゴリである。

「え、いいんすか?ありがとうございまス」

なんかオトナっぽい。

僕らはその時からドクターペッパーを美味しく飲めるようになった。前回まであんなにマズかったのに…

マズイがウマイに変わる瞬間だった。

この体験が今の自分を形成する上で、とても重要であったと本気で思っている。

こういう小さい頃の体験の記憶って鮮明ですね。

久しぶりにドクとおべったが食べたくなりました。

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