BLとの向き合い方


最近BLのドラマにハマって、ネトフリにあるものはすべて見つくした後に私は「邪魔者がいない、二人だけの世界観が続くと思わせてくれるエターナル感」の強い作品により惹かれるのだと分析した。

この感じでもうBLドラマを見てる人は私が1番惹かれた作品が何か予想がつくと思うのだけど、「美しい彼」という作品が一番のお気に入り。

このドラマで一番エターナル!を感じたシーンが、男が好きなのか、と聞いた清居に対して「分からない。けど他の男も女も好きじゃない。好きなのは
清居だけ」(的な)シーン。

この言葉に、性別で好きになっているわけじゃない、君だから好きで、君が好きなんだ、というエターナル!感を感じ取った。

それを私のおとももちに話しながら、「BLってその恋が永遠に続くような気持にさせてくれる、元カレとかを感じない、相手の存在そのものが好きな感じがいいんだよね」と言ったとき、それって違くない?となった。

私が見てるものって、空想、ファンタジーだよね、ゲイの人だって元カレはいるし、現実味ない話だよね、それって危なくない?と言われたとき自分の中でギャラクシー起こして、確かに、え、確かに、となるばかりだった。

自分はBLを現実味のないものとして、消化してしまっていたんだな。
相手の存在そのものが好きな感じって、性別に囚われずにっていう枕詞が隠れてて、結局私の中には性別で分けることが基盤になっているからだ、という事実を差し出された。

別にヘテロの私だって、相手が異性だから好きになってるわけじゃないし、その人の存在が好きなんだし、てか好きになるときにわざわざ相手の性別なんて考えないのに。BLだとその壁を乗り越えて!という所に純愛さのようなものを私はくみ取ってしまっていた。(BLって同性同士という部分に葛藤する描写が多く描かれる傾向にあれど)

現実のものをファンタジーとして消化するって、その人たちをないものとしてるのと同じだよなと。

そんな自分の浅はかさに猛省しつつ、そして軽薄さに失望しつつ、これは文にして整理しようと至った次第である。
(しかし一人で思考するのには限界があって、かつ私の乏しい語彙力では言尽くせず、今のところこれが限界す。これが原石ってことでこれから磨くす。うす。)

ただ、その作品に美しさを感じた心は否定されるものではないから、今回気づいた自分と対峙しながら楽しむ分にはよいのではないか、と言ってくれたことが唯一の救いとなっている。

空想とか非現実のものが大好きな私だけど、その好きの過程で誰かを傷つけないでいたい。



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