沙耶の唄をやりきった

ただの日記、ただの感想です。考察とかないです。思うがままに書き出しただけです。
ネタバレは容赦ないです。15年以上前のゲームだしいいよね…()

プレイのきっかけ

沙耶の唄、私のエロゲデビュー戦でした。
いつからか忘れましたが、ずっと面白そうだなと思いながらも食指が動かなかったのは、ノベルゲーへの苦手意識から。
(ここでいうノベルゲーとは、エロゲ・ギャルゲ・乙女ゲーも含む)
ノベルゲーって選択肢多すぎん?詰むポイント多すぎん?というイメージがあって、なかなか手を出せずにいました。
(ハンサム学園は咲夜先輩に刺殺されてそっ閉じしたし、Fate/stay nightのバッドエンドネタバレ見たら多すぎてビビり、アニメだけでいいや…てなってました。)

きっかけはつい先日来た、いのちの輝きくんブーム。それに乗っかる形での沙耶の唄への言及。Twitter盛り上がりましたね。
やってみたかったんだよなあというツイートを溢したところ、選択肢2箇所・3ルートしかないという先輩のお導きが…!
「それなら私にもできるかも」という自信が湧き、ウン年越しにポチるに至りました。

沙耶の唄はエロゲであってエロゲでない

エロゲって、選択肢を重ねる中で攻略対象の好感度を上げ、やがてはエッチな展開に…というイメージがありました。
が、沙耶の唄はそうではなかった。
選択肢もへったくれもなく、そのまま序盤にエロシーンがはじまってしまう驚き。
なんなら、郁紀と沙耶がまぐわう間柄になった経緯の直接的な描写もなく…
(選択肢の少なさに惹かれて買ったくせに何言ってんだコイツって、そのとおりですすみません…)

更に言えば、エロゲってプレイヤーの視点で話が進むもんだと思っていたのですが、沙耶の唄では他のキャラ視点もかなりのボリュームが割かれていました。
(沙耶の唄のつくりとして、郁紀以外の視点はかなり重要でしたね。)
更に言えば、選択肢2箇所のうち1箇所は、郁紀ではなく耕司の行動選択。

ヒロインを攻略する必要がないという意味で、エロゲではないのではと。一方で、これはゲームであるならば、エロシーンがあるので紛いなきエロゲなのだろうとも。
しかし、主人公の視点以外も多分に描かれることも考えたら、私としては、これは限りなく読み物に近いゲームなのだろうなと思いました。
(作り手がゲームの文脈に位置づけているならば、それは無視できるものではないのでしょう。)

沙耶の唄は純愛なのか?

沙耶の唄は純愛だ、というのはよく目にする感想です。
私の感想としては「沙耶から郁紀に向けた気持ちは純愛だったのだろう」というところで、決して双方向の純愛ではなかったのだろうなと。

沙耶の行動としては、下記のようなものが見られました。
・郁紀でも美味しく食べられそうな人間の料理に挑戦する(共通ルート)
・沙耶自身の食事シーンを郁紀に見られないように努めていた(共通ルート)
・郁紀のカルテを盗み出してまで、郁紀の身に起きている現象を解き明かそうとする。更には、それをもとに戻す方法を確立する(共通ルート)
・郁紀の家族や友達がいたほうが楽しいという発言を受けて、瑶を改造する(羽化・耕司ルート)
・耕司を殺すにあたって、郁紀の危険が少ない方針を優先する(羽化・耕司ルート)
などなど…

沙耶の行動は、郁紀のためにという思いあってのものが殆どでした。

一方で、郁紀の行動として、以下のようなところが目につきました。
・耕司からすれば人殺しだが、こちらからすれば化け物退治という発言(羽化・耕司ルート)
・肋が折れているので、沙耶が助けに来てくれてもいいのにと思ってしまった(羽化ルート)

ウーン自分勝手…。
沙耶のために、と何かをしたのは奥崖教授の調査くらいだった記憶です。それも、沙耶にはあまり重要視されていなかったというのが…。

さて、箇条書きにしたところに話を戻して。
私は、特に「化け物退治」のところが気になりました。
耕司が改造済み瑶に対峙したときに、瑶とわかりながらも錯乱しながら殺すしかなかったくらい、SAN値直葬っぷりな化け物なのです。沙耶たちは。
郁紀に映る人間の姿なんか比べ物にならないのでしょう。きっと。
「化け物退治」発言に対する沙耶の「そんなに違うの?」という問いかけは、悲しみも孕んでいるようなトーンに感じました。

病院ルートで沙耶が声も姿も見せなかったのは正しかったのだろうと思います。
見た目が化け物であればかつての友人であっても容赦なく殺せるような人が、依存しきっていた相手の化け物姿を見て、危害を加えないとは言い切れないよ…という作り手のメッセージがあったんじゃないかなあなどと感じました。
(瑶は人に見えるから、痛めつけるのは憚られるというところとの対比があまりにキツかったなと…結局は見た目というか同族意識が好意の根源なんだよなあということを突きつけられた気分でした。アレ。)

そもそも、郁紀にとって肉塊まみれの世界にぽつんと現れた唯一の"人間"だったから、沙耶への依存が始まり、あわせてそれまでの世界との決別を決意してしまったのですから、沙耶を愛していたのかと言われると、そうは言い切れない部分がある、と感じました。

沙耶がカルテを取りに行って帰りが遅いときの郁紀の錯乱っぷりや、「耕司を殺してしまえば」というところに執着するあたり、もはや依存を超えて陶酔の域だったのかもしれませんね。
耕司ルートで沙耶が死んだと認識した途端、なんの躊躇も疑いもなく自死を選んだあたりも。相手の存在が自分の総てになっちゃうのは、やっぱり愛ではなく、狂気の沙汰なのではと私は思ってしまいました。

そんな関係性でも、沙耶が郁紀を通して恋を知って愛を知って羽化に至ったというのが、この物語の硝子のように脆い美しさを引き立てているのかもしれません。

耕司ルートで、郁紀の遺体に、自らも瀕死の状態でありながら、そして耕司に害されながらも、沙耶が寄り添い息絶えるシーン。羽化ルートの奥崖教授の手記を読んだ上で見ると、沙耶のいきものとしての性質上はそこまでする理由がどこにもないのに、それでも死ぬならば寄り添って…というところが、嗚呼やっぱり沙耶は愛してたんだなあと再確認させられるようでした。
(耕司視点の、「何も取り戻せなかった」というのが至極重要なシーンなのですが…!)

一方で、沙耶という超越的な存在に対して人間はちっぽけでなにもできないということが、郁紀の小物感で描かれていたのかなあとも思ったりしました。

クトゥルフものとして

クトゥルフに造詣は全然ないです。
CoCは一度だけやったことがあるくらい。あとは、セイレム以降のFGOで聞きかじったくらい。
なので、銀の鍵だとか、涼子先生が呪術的なものを見るなと発言するあたりとか、ああきっとクトゥルフなんだろうなというくらいでした。
沙耶・改造済み瑶の化け物姿の画像がないのは、無くてよかったなと思いました。クトゥルフの冒涜的な姿というものは、直接描写がないからこそ想像を掻き立てるものだったのだなと…

耕司ルートのラストなんかも含め、クトゥルフにこれからも少しずつ触れていきたいなと思わせてくれる作品でした。

奥崖教授

羽化ルートの最後で手記の一部を読めますが、最初は研究対象であったものの、しかし最終的には沙耶のことを本当に父親として愛していたんだなとわかるのがひたすら切ないですね…なんで自殺してしまったんだ……
奥崖教授には、沙耶が化け物に見えていたのでしょう。きっと。呼び方が彼から彼女に変わるあたりとか、少なくとも郁紀が見ていたような少女の姿ではなかったことがわかります。

地球環境の大いなる敵になることをわかった上で、娘ができたらつけようと思っていた名前を与え、いつか恋を知り愛を知ってほしいと願うその姿勢・感情を抱いてしまった。娘のように愛してしまった。

もし、化け物姿の沙耶と対峙した上でその愛情を注いでいたとするのなら、それこそ異常者なのでしょう。
けれど、奥崖教授の愛情のもとで育ったからこそ、沙耶は郁紀に愛を与えられた、郁紀を愛することができたのだと思います。
やっぱ父親だよ…紛れもなく……。

性癖に刺さったところ

即死してもおかしくない傷を負いながら、不敵に笑って引き金を引く涼子先生がかっこよかったです。最高。

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