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障害が理由なのか、それ以外の理由なのか

*この記事はNPO法人Collableのゲストインタビューの第2回です。

みんなちがってみんないい、んだっけ?
第1回  「障害があるから」で生まれる歪な関係
第2回  障害受容とコミュニケーション
第3回  技術の進歩と「障害」の変化
第4回  公平を目指せば、理解も受容もいらなくなるかもしれない

前回は障害があることで、歪な関係性が生まれるということがテーマになっていました。

障害があるから、やってあげなきゃいけない。
やってもらって当たり前、できていなければ批判する。

「障害がある」という事実ではなく、そこに紐づく意識がコミュニケーションの阻害になる。

それでは、社会と接点を持ったとき、つまり「働く」という時にどんなことが起きているのか。また、どんなコミュニケーションが必要になってくるのでしょうか。

今回の連続インタビュー第2回では、障害者雇用の話を例にして、障害受容とコミュニケーションについて話します。

話し手はご自身も障害当事者でありながら発信している、一般社団法人Plus-handicap (プラスハンディキャップ)代表の佐々木さん、聞き手はNPO法人Collable代表の山田です。

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障害ではなく、コミュニケーションに壁がある

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山田
障害者雇用も上位数%しか雇われないっていう話と「気持ちよくコミュニケーションが取れるリードユーザー」って話はつながるなって思ってて。だからリードユーザーの育成はやらなきゃいけないと思ってはいるんですよ。

社会人だとある程度条件に合う人に声かけますが、学生だとまだ足りなくて。インターンでうちに来る障害学生たちがリードユーザーになって、現場に出したこととかもあるんですけど。

学生だからっていうのもあって、まだその場に甘んじている感じもあって学習しきれていない様子も見てきました。ワークショップに出て気持ちよくコミュニケーションしてくれれば、それなりにみんな気を使ってくれるし、楽しく終われるし、プログラムもそうなるように組み立てている。だけど、あと一歩足りないことをその場で補えなくて。私の中ではジレンマを感じているんですよ。

佐々木
仕事で、ある企業の障害者雇用のインターンシップセミナーに関わることがあって、その時の話が近いかも。大学三年生の障害者向けのセミナーで、「就職とは…」みたいな話をするわけです。

「就職とは…」というのは、そもそも障害者って就職できるのかっていう観点と、障害者雇用の枠で就職したほうがいいのかっていう観点があるわけです。障害者雇用枠がいいか悪いかっていうのはその人によるし、別にどちらでもいいんだけど、それ以前の問題として「障害者でも採用されるんですか」って聞かれたときに、「いや、正直君たち採用されないよ?」みたいな状況の子が多い。

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「障害者でも採用されるのか?」と「障害者だから採用される」は違う。前者は採用基準を満たしているけど、障害が理由で採用されないケース。後者はその逆。そもそもあなたたち、後者だよ、まだ内定出すレベルに達していないよと。企業の人事担当者さんも違和感を覚えている。それこそ、障害者雇用をずっとしている人からすると、ま、こんなもんですよって思っているけれど。さっきの諦めの事例とも言える。

山田
レベル下げるのは普通です、みたいな。

佐々木
そう。普段は新卒採用の担当をしている人から「こんな子たちのために予算かけなきゃいけないの」みたいな雰囲気が出ている裏事情もあるわけで。個人的にはそうだよねと思う。

だってそういうセミナーをする会社って、インターン行くだけでも相当な選考があるようなレベルの所だったりしますから。でも、障害学生は障害者手帳見せるだけで入れるみたいな状況にある。かつ、なぜか自己評価は高い。

自分が上手くいかないのはすべて障害が理由だと信じている節もある。上手くいかないのは全て障害が理由なんてことは絶対なくて。そんなふうに考えてる人と一緒に飲みたいと思わないもん。それって障害が理由ではない(笑)。

考え方の問題。多分そういう話だと思うんですよ。リードユーザーを育てるみたいなところも。結局、誰かのために何かのために、自分はなにかできるのかみたいな、他者目線。それを障害のある人もいかに持てるか。結局自分の障害が受容できていなかったりすると、自分にしか矢印が向いていないから、誰かのために何かをするっていう発想にいかないわけです。

山田
なるほど。

佐々木
大学生に例えると、次は英語のテストの時間という場合。「やべ、単語帳見てなかった」って思って自分がずっと単語帳見ているときに、友達から「ねえ、勉強した?」って言われても「うるさい、今やってるわ」って話になりますよね。

そういう自分に余裕がなくて自分にしか矢印が向いていないときって他者からの意見って絶対届かない。そんなときに、目の前の子が鉛筆落としても、絶対拾おうとしないと思うんですよ。だってその鉛筆拾う時間が無駄だから。

山田
もはやそっちに目を向けようとしない。

リードユーザー=障害受容ができている人

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佐々木
「あ、鉛筆が落ちたな(けど拾わない)」っていうのが、障害受容できてない障害者と似ていると思うんです。自分の中で障害っていうのを整理できてない状況の中で、自分としか向き合っていない時に、誰かが何かに困っているとか、誰かのために何か行動をしたほうがいいって意識は絶対向かないから。

だから、結局リードユーザーを育てるってすごく遠回しに言うと、障害を受容できている人を増やすっていうことだと思うんですよね。受容と理解。受容ってなんとなく右脳的で、理解って左脳的だなって思っているんですけど。多分それができて、かつ、他者のために何ができるんだろうって自己分析が始まる人じゃないと無理だと思うんです。

極端な話、昨日事故にあって、腰から下が麻痺になりました、「車いす乗ってるよね、リードユーザーいけるじゃん」とは思わないじゃないですか。

山田
まさにWSの中で自分の障害によってもたらされている難しさを、第三者的に語れる人は大事で。かつ、それに対して個人がどう感じているのかも語れることが大事だなと。

それは「辛い」でももちろんよくて、大事なのは論拠を持った事実と、それに対する個人的な感情や思考みたいなものがそれぞれバランス良く話せるってことで。闇雲にこれがあるから不便であるっていうのを自分で考えないまま、一般的に言われていることを話しても微妙だし、感情論でこれが不便で辛くて大変だって言っても微妙で。両方を冷静に語れる人っていうのは確かに重宝されていると思います。

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今回は「リードユーザーのコミュニケーション」について考えました。障害を理由にしたコミュニケーションと、障害を受容できた人のコミュニケーションは確かに接するときに話し合える内容が異なります。

障害があるからこその難しさや困難を話しつつ、他の人とも一緒に考えていくようなコミュニケーション。怒りや困難を理解してもらうことに重点をおくのではなく、その先の「どうやってお互いに気持ちよく話せるのか」という態度で振舞うことに重点をおけるのか。障害を受容することは歩み寄るために必要な過程なのかもしれません。

次回は、第3回技術の進歩と「障害」の変化についてです。
技術の進歩によって、障害はどのように変化するのか。そして、その変化によってどんなことが付随して変化するのか。次回のnoteもぜひご覧ください。

佐々木さん

佐々木一成(ささきかずなり)
1985年福岡県生まれ。生きづらさをテーマにしたwebマガジンPlus-handicap編集長。生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。障害があっても楽しく人生を送るひと・そうでないひとの違いや境目を研究中。

(聞き手:山田、文・写真・編集:栗野)

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【NPO法人Collableとは?】
「ために」から「ともに」へを合言葉に、障害のある人たちや多様な人との共創の場づくりを実現させるために活動するNPO法人です。
インクルーシブデザインの普及や、実践研究活動、その方法を活用した様々なプロジェクトを、おとなからこどもまで展開中。
Web: http://collable.org/
FB: https://www.facebook.com/collable/


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