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僕が会社を辞めた本当の理由(後編)

 パソコンが壊れた。こういう時を見越してUSBにすべての原稿と印刷用フォームを保存してあるのだが、今はそんなことよりも書きたい!1日も待ちたくない。今回の文学フリマの作品は実験作なので反応が心配だが、一応、大江健三郎追悼の短編になっている。反応はすこぶる悪い(苦笑)。新しい書き方がはまらなかったようだ。それでも、とにかく今は新人賞用の小説を毎日書いていたい。

 しかしまずはこれだ。

https://note.com/cold_blue_mind/n/n4b39e977a3f5

 僕がなぜ正社員を辞めたか。細かいことを挙げたらキリがない。ただ、いずれにせよ僕は正社員になった頃、「一喜一憂しない」「やることをやってる人の意見だけを聞く」という決まりを作った。今にして思うと随分と功利主義でつまらない決まりだが、当時は大真面目だった。特に一喜一憂しないというのは強く心に留めていて、人に期待しない、人に期待されても動揺しないというのは自分を守るために大きなことだった。
 じゃあなぜそうして自分をマインドコントロールにかけてまで打ち込んだ仕事を辞めたのか。その前に、今現在、僕が独り暮らしをしている家の近所の中学校の話をしたい。僕がコンビニやドラッグストアに行くにはこの中学校の運動場の脇を通らなければいけないのだが、「そこ固まってんじゃねえぞ、効率悪いぞ」という部活動の声や、体育の授業中の高圧的な体育教師の声がする。僕は自然と、「このやろう」という気持ちになる。
 それのなにが会社を辞めたことと関係があるんだと思われるかもしれないが、僕はこの運動部の先輩、体育教師のように、周りを威嚇してでも結果を出すということが、ふとバカらしくなってしまったのだ。毎週60時間働き、少食に短眠という生活をしているのが、バカらしくなった。
 誤解のないように言っておくと、パワハラをしたわけじゃない。仕事も楽しかった。でも、この仕事が楽しい自分そのものが嫌だったのだ。大きな流れの中で主流にいることそのものが。父にも言われたが、「怖くて学校に行けなかった頃の自分を大切にしたらどうだ」という言葉も心に刺さった。
 なにが言いたいかというと、僕は社会人としてできあがりたくなかったのだ。染まりたくなかった。一喜一憂しないと決めながらも大きな仕事をこなす喜びを見出しているのが、なにか違うように思えた。
 僕が会社を辞めた本当の理由なんて大それたタイトルをつけたけれど、僕が会社を辞めたのはそわんな理由だ。母親が死んだのが2月14日。本来、会社を辞めるには3ヶ月前に報告するのが通例だが、「どうしてもの場合のみ」とされる1ヶ月前に辞表を出した。その時の解放感と言ったらなかった。

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