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父性原理への憧れ

 パソコンがなぜかインターネットと繋がらなくて肝を冷やした。一応、小説はパソコンの事故で失ったりしないように(そして思いついた時にネットカフェとかで書けるように)すべてUSBメモリーに保存してあるのだが、パソコンでやることは執筆だけではない。このnoteも書いているし、友達や同人会のメンバーとのためのSkype、そして新人賞へのWEB応募、さらには同人誌の入稿作業と、本当に僕の生活に欠かせないのだ。とりあえず直ってホッとした。

 今、僕は群像新人文学賞に向けて小説を書いている。だいたい240枚くらいになる予定で、進捗は悪くない。体調を崩したり、今日のようにパソコンのトラブルに見舞われても取り返しが利くくらいの感じだ。初めてギリギリに間に合わせる以外の書き方ができてる。(僕はすぐに作品を丸ごと没にしてしまったり、途中のエピソードをめちゃくちゃ改稿したりするのだが、今回は根気強く書けた)

 まあそんな話は置いといて、今回は父性原理、母性原理の話。ジェンダーレス社会に思いきり逆行する父性と母性なんて言葉を使ってしまうが、僕は男女の性質の違いを信じているタイプなので書いてしまう。一応、言っておくと、男女は対等であるべきだとは思ってる。しかし同等ではないというのが僕の意識だ。

 プロ野球読売ジャイアンツは、V9時代のエース堀内恒夫をドラフトで1位指名する際、あることを懸念していた。それは、堀内氏が父親より母親の影響下にいるということだ。今は知らないが、当時のジャイアンツや他の球団は、母親の影響力が強い家庭で育った選手は根性がないという見解を持っていた。「なにくそ」と練習する選手が少ない、そう考えられていた。この辺りは似たようなことをフロイトやユングも言っている。
 そして、なにを隠そう僕は母親の影響下に置かれて育った人間だ。単純に父親がサラリーマンとしてバリバリ働いていたので子供のことをすべて任されていたのが母親だったのかもしれないし、母親が父親より年上だったからかもしれない。とにかくこがわ家はそういう家だった。僕は間違いなく母親に甘やかされて育った人間だろう。 
 母性原理の人間というのは、同情や共感の力が強く、決断と闘いの世界とは相性が悪いと言われる。父性原理は厳しさや規律、強さやある種の残酷さを受け入れているらしい。僕は今までのアルバイトや会社員生活など、ほとんどを女性が権力を握っている世界で過ごしたので、男性の頭ごなしに人を注意する厳しさに免疫がなかった。そんな調子で、僕は30歳を超えた。
 そうして会社員を辞めてからはいろいろな仕事を転々としたが、やはり馴染むのは女性が多い職場だった。しかしそんな中でひとつ、古物商の仕事だけは、父性原理の職場と言うか、雇ってくれて一緒に働いたのは男性だった。僕はリサイクル品の写真を撮り、売り文句を書いてヤフーオークションに載せる仕事を担当していたのだが、雇ってくれた男性と2人でラジオを聴きながらその作業をすることが多かった。
 そしてそんなある日、石原慎太郎の話になったことがあった。古物商のおっちゃんは左翼的と言うよりも、良心的な理由から、無神経なことを平気で言う石原慎太郎が嫌いだと言っていた。その時、僕は「橋下徹もそうですけど、囲み取材で常に煽られていると失言や熱くなる発言は増えちゃうのでちょっと同情しますね」と言った。しかし僕の雇い主は、「いや、そういう状況で口を滑らせちゃいけない職務に就いてるんだから、仕方がないじゃすまないよ」とビシッと言った。僕はその厳しい態度に物凄く衝撃を受けて、なんだか頼もしいなあと思ったのを覚えている。
 そして僕は今でもビシッと言うのが苦手だ。

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