年相応ということ

アラフォーなわけですが、最も年齢を感じる瞬間というのは、新しい知識や技術を得ようとするときです。
特に、仕事に直接的に必要な知識や技術ではなく、仕事や日常を少し便利にする系のやつ。
物凄くエナジーを消費するというか、第一歩がとても重い。
このnoteの使い方みたいなページも見るだけでげんなり、読んでもただ目で字を追っているだけで微塵も頭に残らない、もうヴォイニッチ手稿読んでるのと同じ。
せっかく動画でわかりやすくまとめてくれているっぽいのに動画を見る気も起きません。そのうち興が乗ったときにでも見ることにします。

昔、なぜかメールを使おうとせず、ひたすら電話に頼るおっさんおばさんがいましたが、たぶん彼らにはメールがそのような存在だったのでしょう。

それなりに色々と経験を積んできたことが悪く働いていて、それがなくても別に当面は困らないから、たちが悪い。
で、別に困らないと放っているうち、若者たちにどんどん置いていかれて、気づけばその使用が当たり前の社会となり、あたふた覚えようとして、余計にエナジー消費するのです。

かの世阿弥は、年をとったらとったなりの能の演じ方があり、若い頃と同じように演じていたらもう見てらんない!みたいなことを言っていましたが、まさにこれは真理だなと思っています。
年相応の良さというものがあるし、年相応のやり方というものがある。

とはいえ、これは、あくまでも「どう振る舞うか」という話なのであって、時代についていく努力をしなくてもよい、自分の築いてきた箱の中で安穏としていればよい、というわけではないんですよね、きっと。

幅広い年齢の人たちが一緒に何かに取り組むとき、分からん!もうさっぱりついていけん!と言いながらも、自分のやり方に若者を合わせさせるのではなく、先を歩く若者のやり方に合わせられる程度には、知識や技術をアップデートしておくべきなのでしょう。

口ではぐちぐち言いながらも、なんだかんだで若者に合わせるべきところは合わせられる、ちょっと面倒くさいところがあるとはいえ一緒にやりやすいような、そういうおっさんになりたい。

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