見出し画像

絵を描くことはエコシステムである

雲が綺麗だ

パステル画を始めてから、空を見上げて雲を眺めるのが日課になってしまった。とてもイイ日課である。

ここのところ綺麗な晴れ空になかなか会えなくて、そのぶん空にはいつも雲がある。雲の表情はさまざまで、毎日見ていても飽きがこない。一つとして同じ雲はない。

夏は積乱雲のイメージが強いが、もちろん積乱雲だけが浮かんでいるわけではない。いろんな雲が混ざり合って空に広がっている。

雲には名前がある。
素人には見分けがつかない違いで名前が違っていたりする。
「雲の名前」
という本を持っている。
いろんな種類の雲があって、それぞれに違う名前がついている。
形が似ていても名前は違ったりする。
解説を見てもその違いを見分けるのは難しかったりする。
実物を空で見つけても違いはやはりわからない。
鰯(いわし)雲と鱗(うろこ)雲の写真を見てもほとんど同じだ。
羊(ひつじ)雲と叢(むら)雲をみてもやはりほとんど同じだ。
分からなくても別にイイか、とも思う。
見てるだけで面白い。
それで十分だ。


雲は描いていても面白い。
難しいこともあるが、それさえも面白い。
雲は必ずどこからか流れてきて違うどこかへいってしまう。
風に乗って動いている。動いていない雲はない。
その流れが見えてくると、描く楽しさが増す。
形を色を追っているだけではその流れが見えてこない。
ある程度形を把握したら一度目線を引いて全体を眺めるようにする。
すると
「ああ、この辺はこっちから流れてきた雲とあっちからきた雲が合流しているのか」
とか
「別々の雲に見えていたけど、もともと一つのものが分かれていたんだな。だからこことここは同じ色味なんだ」
みたいなことが分かってくる。


そうした雲の独特の動きや形の不思議さを感じた時、空の雄大さが視覚だけの感覚ではなく、体に染みてくる。
自分が世界の中にいることを自覚できる。
社会ではなく、世界という感じ。
日常生活の中で失われていったものが、自分の中に戻ってくる。
自意識のピントが合う、という感じ。

絵を描くために雲をみて、雲を見るようになって精神状態が改善されていく。しかもその先には絵を描く楽しみが待っている。
何というエコシステム。


久しぶりに仕事を始めて、通勤したりデスクワークしたり退勤したりしていると、ついつい地面を見がちになる。スマホを片手に目線が下がっていく。
忙しさに少しずつ余裕をなくしていく。書面や画面を見つめることで視界が狭くなっていく。
そうやって自分の考えや価値観は削られていく。
それらは人に与えられた仕事だからだ。

絵を描くことは誰からも強制されていない。
別に描かなくたっていい。
でも描きたい。
だから描く。
このシンプルさが心地良くて、今日も朝から描くのである。
早起きして、この文章を書いたり、絵を描いたりしてから仕事に向かう。
僕は僕の残りカスで仕事をしている。
(ちゃんと真面目に働いている)
そうやって家に帰り着く頃にはしっかりと疲れていて、眠りが深くなる。
素晴らしい循環だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?