思考に出口はない

中学生、いや高校生のころだっただろうか。
なぜ僕は生きているのだろう? 
ということを考え始めた。

普遍的命題ではあるし、同じような考えを巡らした人は
少なくないはずだが、小さい頃からいじめられっこだった僕にとって、
そのタイミングは比較的早く訪れた。
そして幼いながらも哲学的思考にとらわれていく。
どうして僕は生まれてきてしまったのか?
なぜ生きていかなければいけないのだろう?
もちろん、答えなんか出てこない。
悶々と思い悩む青春時代だ。
怪我でサッカー部をやめてからは、いい思い出がほとんどない。
体力的なところで気持ちを発散する機会も失ってしまった。

悩みの原因を探し出すうちに「どうして」の次に
家族や学校、社会全体へと思考のベクトルが変遷し
やがて主語が「人間は」と置き換わった。
そこでトルストイの「人生論」に手を出したのだが、
いくら読んでも内容が全く頭に入ってこなかった。
半分も読まないうちに諦めた。
そして「人生論」をベッドの端に放り出したときに
  こんなことをいつまでも考えていても
  意味がないのではないか
と思いたった。
都合の良い方向転換だが、思考の展開としては悪くなかった。

なぜ生きているかを考えても仕方がない。
すでに生まれてしまったのだから。
今ここに生がある以上、この生をどう生きるかが問題だ。
まずこの家を出よう。
そんな結論に至ったのが高校二年頃の話だ。

高校中退を親に申し出たが、家族会議の末に却下された。
その上で何をするか、ということがまるで積み上げられていなかったからだ。その点を指摘されると僕は答えに詰まった。
とりあえず大学進学、というのが親の希望であり
その点において僕は妥協せざるを得なかった。
準備不足、行き当たりばったりは当時からの悪癖である。
当面の目標は進学にかこつけて家を出る、になった。

しかしながら僕は周囲も頭を悩ますほどのスロースターターだった。
しかもその頃は勉強そのものを憎んでいた。
学科の成績は赤点ギリギリの教科がいくつかあり、
特に生物学は授業中にずっと上目遣いで天井を見ながら話す
教師が気持ち悪くて全く話を聞かなかった。
他のほとんどは並の並か下。
唯一コツを掴んだ数学だけがクラスでトップという
非常に安定を欠く状態になっていた。
親への反発も混ざり、見るからに怠慢な受験生は
何度も親と衝突し、怒りに任せて家の壁にいくつか穴を開けた。
知らないうちに家が建て替わっていたのはあの穴を
消すためでもあったかもしれない。

無気力感から脱することができないまま、呑気なことに
  今年は無理だな
などと考えていた。
中学までは部活が全てだった。
レギュラーで県でも良い成績を残していた。
いじめっ子たちも選手としての僕は認めてくれていた。
そこがよりどころでもあったのだ。
支えになるものを失うと、ただそこに立つということすら
危うくなってしまう。

留年が決まると、またもや家族会議。
父の意向と合致したこともあり、次の一年を隣県の予備校の
寮で過ごすことになった。
僕の田舎は田舎すぎて、その頃はまともな予備校すらなかったのだ。
そんな状況で、僕はひっそりと家を出られることに喜んでいた。
今にして思えば、ひどい金食い虫でしかないが、稼ぐ苦労に想像が追いついていない。

今になって振り返ってみると、あのとき就職していたら田舎の狭い世界に封じ込められたまま、いろんなものに流されてしまっただろうと思う。
大学進学で東京に出てきたことはベターな結果だった。
もちろんそれは結果論ではあるが、その方向へと起動をのせてくれたことには親に感謝したい。

予備校の1年間も忘れがたい思い出がたくさんあった。
もしかしたらあの1年間が僕にとって最も充実した日々だったかもしれない。
なぜなら
僕は大学に入ってからも、悶々とした思索の罠にハマってしまったからだ。
悩む人間はずっと悩み続けるものらしい。

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