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色を選ぶ

3日に1枚くらいのペースでパステル画を描いている。
対象は主に風景なのだが、近場にいい風景がたりずにちょこちょこ探しに出る。ロケハンである。しかし足がないので自転車で行ける範囲か電車で遠出する。どっちにしろ凄まじい炎天下に長く晒される。

何の防御もなく太陽に照らされていると体力を著しく消耗する。体のなかの水分がどんどん蒸発していくのを感じる。途中で水やらお茶をのむが、まさに焼け石に水という感じですぐに乾きがやってくる。

しかし夏生まれの体質が幸いしたのか、こんな暑さでも気持ちよく感じてしまう。天空からの光の圧力が気分を高揚させる。どうもこの感覚は「冬の方が好き」という人には全く伝わらないようだ。

そんなわけで先日、千葉の富浦へと向かった。
天気予報は酷暑。千葉は晴れ。
目的は海の見える風景を写真に撮ること。
千葉方面で風景のいいところを探していたところ、海岸に「岡本桟橋」というドラマの撮影などでよく使われる場所がきになり、そこを目指すことにしたのだ。


富浦へいくには新宿バスタから館山行きの高速バスでアクアラインを突破する。
お出かけの計画は前日の夜に思い立ったので、準備も適当である。
要は行き当たりばったりの旅。
学生時代はよくやったものだ。早朝のバイト終わりに何となく日本海が見たくなって午後には佐渡島にたどり着いていた。こんな気分で出かけるのはずいぶん久しぶりで、密かに胸を昂らせていた。
無計画に出かけたものの、バスのタイミングがよく10分ほどの待ち時間で出発時間となった。館山行きは2時間に一本くらいしか出ていない。ちょっとしたラッキー。幸運に出会うのも無計画の醍醐味である。もちろん逆になることもある。

東京を出るまでは大人しく本を読んですごした。
風景の変化を味わうために、自分の中にギャップを作っておきたかった。
だから、あえて外を見ないようにしていた。
アクアラインの長いトンネルを抜けて道路が海上へ浮き上がっていくと、気持ちのいい青空が広がっていた。時刻はすでに午前11時を過ぎている。気温はもう30度を超えているが、車内は空調が効いている。この辺りで本を読むのをやめた。
ほどなくして車は海を越え、地上を走り始める。
窓の外を食い入るように見ていた。
この数ヶ月、見たいと思い続けていたものが次から次に視界に入ってくる。
高速バスでなかったら気まぐれに途中下車していただろう。
風景との出会いは突然やってくる。
突然過ぎて写真を撮るのが追いつかない。
気になる場所が現れるたびに現在位置を確認したくなるが、手持ちの撮影道具はスマホ一個しかない。バッテリーの消費を考えると地図アプリは開きたくなかった。リアルタイムで現在位置を確認しているとあっという間に消耗してしまう。

もうデジカメを欲しいと思わなくなった。
少なくとも自分にとってはスマホで十分こと足りている。
デジカメ市場は縮小しているのではないだろうか。
思考の片隅にそんなことを控えつつ、気になる風景を撮影する。ガラス越しなのが残念だ。しかし高速道路が走る場所はだいたい人里離れた山間を縫うようにしているので、おのずと似たようなものばかりになる。しばらくして撮影の熱もおさまってきた。まだまだ先は長い。

館山行きの高速バスは、下車する人がいないバス停はどんどん飛ばしていく。僕の目的地は「とみうら枇杷倶楽部」(道の駅)で、ほかに降りる客はいなかった。バス停のすぐそばに観光インフォメーションがある。「とみうら枇杷倶楽部」は道をを挟んで反対側だ。そこで飲料を補給し、脇目も振らず海への道をえらんだ。すぐそばを流れる岡本川に沿って歩いていくと、10分ほどで海岸に出る。

川沿いの道も良かったが、ふと民家の角を曲がり視界が開けると、長らく求めていたものが、わあーっと視界を埋め尽くした。
海だ。
バスの窓からガラス越しに見たものとはまた違う感動だった。
潮の匂い、湿った風、静かな波音、青と緑の色彩……
体感する全てがそろって、海を実感した。
戻ってきた、という感じがした。

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砂を踏みしめながら海岸線を横切り、シャッターを切る。
「シャッターを切る」という言葉はいつまで生き残るだろう。
すでにデジカメではそんなものは切られていない。
「写真」という言葉ですら使われなくなるのではないか。
いや、そんなことはいい……

取り留めのない思考が浮かんでは、風景の中で霧散していく。
撮影した画像を確認しながら「これを絵に描くならどんな色を使うのか」と考え始めると、意識が徐々に洗練されていった。
風景、画像、色、そして描いていくこと。

空の光が強かった。
レンズを向ける方向次第で色が飛んでしまい、露光の設定などいじり出す。
同じフレームでも設定を変えるとかなり雰囲気の違う画像が撮れる。
構図が同じで設定の違うシーンを何枚も何枚もスマホの中に納めていく。
今回は青みがかった雰囲気のものが多くなった。雲の表情をしっかりと出したくて工夫をしたのだが、この色味のまま描くのも良いと思えてきた。
歓迎すべき偶然の産物だ。

雲を見て、何色だと思うだろうか。
当然、白だと思うだろう。
では、雲の影の部分は?
直感的に灰色だと思わないだろうか。
僕はそう思っていた。
しかし実際に灰色で塗ると自分が想像していたよりもずっと暗い色になる。
もっといえば黒っぽくなってしまう。ちょっと汚く見えるくらいだ。
空にある色は空の色に影響を受ける。
光の当たる場所は白が強く出るが、影になる部分は灰色というより青だ。
これが雲の透明度の問題なのか、海の色が反映された結果なのか、わからない。しかし朝だろうが夕方だろうが、空の色に合わせて明暗をつけないと雲の表情を描けない。
風景を描くと光への意識が少し変わる。

どんな色で塗る?
手持ちのパステルに近い色はあっただろうか?
どの色をどんな割合で重ねれば近い色が出るだろう?
青と言っても暗かったり明るかったり、紫に近い色があれば黄色味がかかっている青もある。青系のグレーは豊富にあった方がいい。
色は無限にあるのに、海も空も青と捉える。
ふと、この意識は数学の集合論に近い、ということを思いついた。
人間はふだんの生活では整数、実数しか意識しない。
だが1と2の間には無限が存在するのだ、という。
色もそれと同じではないか。

この世界は多彩だ。
多彩なものを限られた色で表現する。
当然、限界がある。
この表現の限界があるからこそ工夫が生まれる。
工夫することに人間は没頭し、手法を発展させる。
そこまで考えると
ああ、これもやっぱり通じてるんだな
と思えた。

僕の使用するホルベインには250色のパステルがあり、まだ手元には50色くらいしかない。ありがたいことにまだまだ選択肢が残されている。買えば手に入る選択肢。限界値がふやせるのだ。現時点でも全色欲しいくらいだが、描きたいものが増えていけば、色も増やしていくだろう。
世界堂に通う日々もしばらくは楽しめる。



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