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今まで、自分のこと語るのってうざったいよね。と思っていたのですが。

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
普段はCOHPLUSというボディワークオフィスを構え、体の動きやら心との繋がりやらを専門に扱うお仕事をしています。

いつも発信をするときは「COHPLUSとしての私」がやっぱり染み付いていたんだけれど
今日は、一人の人間として備忘録を残したいと思って書いています。

きっと多分にお見苦しいけれど、もし先を進む方は、温かい目で読み進めてね。


実は今年の初めに、とある対話を通して行き着いた結論のひとつに「自分語りをする」ってやつがありました。

人のお話聴くのは好きなんだけどね、いざ自分のこと喋ってとなると何話していいかわかんなくなっちゃうんですよね。

何から話したらいいのかわからないし、相手は何を、どこまで知りたいのかわからないので、いつもちょっと困ってたんですよ。

きっとどこかで、「自分の話ばっかりする人はちょっとね」って思いがあったんだと思います。全部自分のストーリーに絡めて話しても、世界線広がっていかない気がして。

でも、冒頭にも言いましたけど、人の話聴くのは好きなんですよ本当に。基本的には。

だけど、それをいくら言ったところで、私がまず自分語りしなかったら相手もしたくないかもしれないし。
私のいう「人の話聴くの好き」も薄っぺらくなっちゃうかなって思って。

それはなんて言うか、とても悲しいので、じゃあ思い切って自分語りしちゃおう。って思って。

ここまで書いていてすごい思うのは、自分のこと話すってめちゃくちゃ怖くない?勇気いらない?みんなすごくない?ってこと。

もちろん、お仕事に対しての誠意とか理念とか、そういったことはあるよ。でも、今日は、そうじゃなくて、私って人間を伝えるって前提があるからさ。

ひとまず、私が生粋の面倒くさがりだという話からしますね。

年明けから、リハビリもかねて直接お話する機会があった方には、この話をしていたんだけど。

私あれです、本当にズボラなんです。

あのおしゃれな感じのズボラじゃなくて、ガチもんのズボラです。

どれくらいなのかって言うと、ほんとに二言目には「めんどくさい」って言ってるくらいのズボラ。

落ちたものを足で拾ったりするくらいズボラ。

取り込んだ洗濯物をすぐに畳まないで放置しておくくらいズボラ。

温めたご飯をタッパーからお椀に移さないで食べちゃうし、インスタントラーメンは鍋ごと食べる。洗い物が面倒だからね。

母も言ってた。「あんたすぐ面倒くさいって言うわね」って。ぐうの音も出ません。事実です。

でね、その話をすると、多くの方が驚いてくれるんです。優しいよね。

ちょっと仕事の話をしちゃうと、私普段、体のケアとか、体の動きから自分の持てる選択肢を増やしていこうねと発信しているので、きっとみんな私がすごい丁寧な暮らしをしているのではないかと思ってくれているの。

ありがたい。でも、そんなことないよ。ただ、自分の日常の中に体をケアする(意識する)時間は一般的な人より多い自信はあるよ。

だけどそれは、私が、私でもできる方法を知っているからってだけ。めちゃくちゃ努力してるか?と言われたらNOだね。体のコンディショニングに関して。

私がいつも念頭に置いているのは「日常に溶け込む方法」なんだけど、それって本当に人によって違うんですよね。

私みたいなタイプもいれば、そうじゃない人もいるし。
同じ面倒くさがりさんでも、その度合いは違うでしょう?

だからこそ、その人のスタイルに合わせて、その人にとっての価値を提供するってお仕事が楽しいんだと思うんだ。

だって、私みたいな性格でも体の動きを楽しめるし、姿勢が変わって気持ちの持ち方も変わったんだから。

あ、ちなみに私前からこんなに前向きな人間じゃなかったのですよ。

今でも決してスーパーポジティブではないと思うけど、前はなんて言うか、自分に自信なかったんだよね。人との関係性を築くのもそうだし、なにかを発言したり表現したりすることもそうだし。

めちゃくちゃ腰も痛かった時期あったし、ある時期は会社に行くのが嫌すぎて通勤途中でお腹痛くなってたし。

もっと0か10かの極端人間だったし。(それは今でも課題なんだけど)

これを聞いて、普段の私の発信を見てくださっている人は、きっと驚くのではないかなと思うんです。優しいからね。

もちろんいつもの発信は本当の気持ちだし何も嘘偽りないけど(だからすごく矛盾しているでしょ?発言が)、最初からこうだったわけじゃあ、ないんだよ。

あともうひとつお話するね。

私ね、お酒飲むのが好きなんですね。(え?もう知ってる?)
そんでもって、先述の通り、結構ぐうたらした人間なんですよ。

だからそれなりにお酒にまつわる失敗もしてきたわけです。

よく生きてた。ありがとう神様。

というレベルには危なっかしいことしてた(る)と思います。

ついこの間も、立ち飲み屋で会った人たちとぺろぺろに酔っ払って土手で飲んだりしたし。
帰ってきてお風呂とかトイレで寝てたりとかはよくあるし。

恥ずかしいからごく一部しか喋らないけど、まあ色々あるんですよ。

かつてお世話になった方々
そして現在もお世話してくださる方々

本当にありがとうございます。大好き。

それでね、なんでこの話したかと言うとね。

面倒くさがりの話ともリンクするんだけど、こうした私のダメ(だと自分で思っているところ)をお話しするとね、みんな笑って「いいね」って言ってくれるんだよ。

みんな優しいから「みほさんがズボラだと知って安心しました」って言ってくれたり「そんなみほさんの方が親近感わきます」って肯定してくれるんだよ。

なんだよ、みんな心底いい人だな。その度に私は救われてるよ。

そこで、気付くわけなんですよ。私が誰かの話を聞いて、素敵だな、面白いな、楽しいな、応援したいな、温かい人だな、もっと聴きたいなって思うのと一緒で

私の周りにいる人も、そうやって私との会話を楽しんでくれてるんだなって。

そりゃ、会話にもTPOがあるとは思っているので、終始気をつけなければならない節もありますよ。

だけどね、みんなこうやって相手のことを知って、お互いのことを信頼しあっていくんだよね。当たり前っぽいことなのに、自分のこととなると出来ないのなんでだろうね。

ただ、本当に私が年明けから実践してきた、自分語りを通じて思ったのは、周りのみんなをもっと信じていいよってこと。

お仕事でも、私がどんなに面倒くさがりでも酒飲みでも、関わっていることに手を抜かないって姿勢を、誠意を持って伝える関係性を築いていれば大丈夫。

今一緒にいる友達も、もうきっと自分のそうゆうところはお見通しだよ。だから一緒にいるんだよきっと。

ということで、つまり、自分語りはいつもうざったいわけじゃないし、むしろ活用によっては人との距離縮まるから素敵なことだね。

ってお話でした。

この世のどこかで、自分の話するの怖いな〜苦手だな〜と思っている人がいたら、きっと大丈夫だよって私は今なら胸を張って言えるよ。

話したい人思い浮かばなかったら、いつでも連絡しておいで。

私、人の話聴くの好きなんだよね。





支えられて生きています。いつもありがとうございます。