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ジョー・ブライアント

バスケをしている人、してない人でも誰でも知っているコービー・ブライアントのお父さんで、僕のプロのキャリアで最初のヘッドコーチです。

koheiではなく、coheyの名付けの親でもあります。

ジョーとは東京アパッチで4シーズン、ライジング福岡でシーズンの半分をジョーの元でプレイしました。

プロになるまでの僕は、アメリカでマイナーリーグやストリートの試合をしたくらいで、日本以外のバスケのシーズンを経験した事のない人間でした。

当時の日本のプロリーグ、bjリーグは外国籍選手のオンザコートのルールがなく、多くのチームが4〜5人の外国籍選手が所属していました。

東京アパッチも例外ではなく、最初の4シーズンは常に多くの外国籍選手が所属しており、ジョーのオープンな性格もあってチーム所属の選手以外に、日本にいるアメリカ人がよく練習に来ていました。笑
だから、ここはアメリカか!?と思うほどの環境でした、、、笑

ジョーに初めて会ったのは、シーズン前に行われたロサンゼルスでのトレーニングキャンプでした。
みんなで食事をしながら1人1人面談をした時に、僕はジョーに質問をしました。
「僕はPGをやった方がいいですか?」と。
この質問は、僕はずっと日本ではPGをしていましたが、いわゆる日本のPGはパスを優先して、ゲームをコントロールする選手が多かったんですが、僕は昔から得点を取るPGだったので、ジョーの考えるPGを知りたかったのどと、ジョーが何を求めているか知りたかったからです。
ジョーの答えは、
「青木康平をしてくれ」
「お前のバスケをすればいい」
「PGやFといった型にはめる気はない」

今思い返せば、ジョーのバスケは個性を非常に大事にしてくれました。

あの当時、個性的な選手も揃っていて、ジョーは僕らに自由を与えてくれたので、傍目からは東京アパッチは無茶苦茶なバスケをやっていたイメージかもしれませんが、
実際には、ジョーはバスケIQが無茶苦茶高くて、ジョーの頭の中の理想はもっと高い所にあったと思います。

最初の4シーズンの中で、ジョン・ハンフリー(ヘリコプター)も4年間一緒にプレイしました。
皆さんは、ジョンは好き勝手にやっていたイメージがあると思いますが、実は選手の中で1番ジョーに怒られていたのはジョンです。

ジョーは、ジョンのシュートセレクションの悪さには常に口をだしていたし、もっとチームメイトを信頼してパスを出せば自分の為にもなると言っいました。
僕らもジョンを必要としていたし、ジョンも僕らを必要と感じはじめてからはチームが強くなりました。

ジョーとジョンは本当の親子の様に仲が良く、その為練習中も試合でも本気で言い合いをしていましたね。
でも最後はいつも笑って抱き合ってましたけど。笑

ジョーの指導は、僕が日本で学んできたバスケとは全く異なるものでした。
1番の違いはバスケというスポーツの捉え方です。
文化の違いという背景はあると思いますが、とにかくジョーは個性を大事にしてくれました。

最初の2シーズンは、ジョーのバスケの感覚と今まで自分が培ってきたバスケの常識とのギャップに苦しみました。
ジョーが求めていた事は、自分の中ではやってはいけない事に感じていたからです。

3シーズン目、土曜日に仙台89ersと試合をして酷い負け方をしました。
そのあとロッカールームで珍しくジョーが選手がどう感じたかを知りたいと言ったので、僕は何人かの選手が話をした後に、自分の想いを伝えました。

ザックリ話すと、負けた試合では個人プレイが目立っていたので、僕はその試合でボールをシェアする事に専念していた事や、その方が的が絞れなくなるから相手も困る。とにかくみんなでチームバスケをしたい。みたいな事を話しました。

そうするとジョーが、
「F○¥K!!」と言って、
「お前はそんな事考えなくていいんだ!」
「お前は得点能力が高いし、チームで1番シュートが上手いのに何故シュートを打たないんだ!」
「そんな話は自分の仕事をしてから言え!」

と突然ブチ切れて、そのままミーティングが終わりました。

愕然としました。。
勇気を持って話をしたのにブチ切れられるとは思ってませんでしたから、、

次の日の試合前までジョーは機嫌が悪かったですね。
僕にはとにかく「やってこい!」とだけ。

あの試合は、ジョーがみんなの前で僕が好き勝手やっていいと許可書をくれた様なものだったので、ある意味完全に吹っ切れていました。

結果、好き勝手やって29得点で快勝。

試合後にジョーが僕の所にきて、
「言っただろ?お前がやれば勝てるから!」
と笑顔で言ったのを覚えています。

先程も言いましたが、ジョーはバスケIQが無茶苦茶高いです。
だから、いいバスケットが何かを知っています。
ただし、それ以上に試合に対するメンタリティーの弱さが出るプレイ、消極的なプレイにはかなり厳しかったです。
そしてそんな時、良くコービーの話をしてくれました。
そう、今思えばあれが「マンバメンタリティー」ですね。

マンバメンタリティーの話は、ジョーと関わったあとに話題になっていった話なので、マンバメンタリティーを知った時は、「ジョーの息子ならそりゃそうなるわ!」と思いました。

とにかく自分の能力を最大限に出す努力をする事や、プライドを持って戦う事、そしてここは日本のリーグだから日本人がもっと活躍しなければいけない!と僕らを育ててくれました。

僕は本当にジョーから沢山の事を学び、愛情や勇気をもらいました。
今でも僕の家族の誕生日などには毎年メッセージをくれます。

本当にジョーは愛情が深いんですよね。
僕はそんなジョーに出会えて本当に幸せな人間だと思います。

ジョーは間違いなく僕のバスケ感を変えた1人だし、ジョーに出会っていなければ今の僕はありません。

そんな大好きなジョーの息子コービーが突然の事故で亡くなってからもう早いもので約半年経ちますね、、、

1日でも早く、ジョーやパメラさん、亡くなったご遺族の方々の心の傷が癒える事を祈っています。

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