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公文書の大切さ。古代中国の歴史が教えてくれること | 史記、春秋左氏伝より

昔々の中国の話です。「斉(せい)」という国がありました。

時の王様は荘公光(そうこうこう)、政務を取り仕切っていた宰相は崔杼(さいちょ)といいました。

ある時、崔杼が私的な恨みから荘公光を弑する(目上の人を殺すこと)という大事件が起きました。

その後、崔杼は荘公光の弟を傀儡の君主として擁立し、国を牛耳るようになってしまいます。こうして、斉では誰も崔杼に逆らえなくなってしまいました。


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この時の政府に「太史(たいし)」という職業がありました。

国の公式な歴史を記す重大な役割を担っています。この知見を駆使して王様や諸侯をサポートすることもやっていました。

崔杼が荘公光を弑するという大事件が起きた時、斉の太史は公文書にこう記録しました。


「崔杼弑君(崔杼、其の君を弑す)」


これを知った崔杼は修正を迫りましたが、太史は拒否しました。

崔杼は激怒して太史を殺してしまいました。


次に太史の職についたのは、殺された前太史の弟でした。

弟は、公文書に兄と同じようにこのように記録します。


「崔杼弑君(崔杼、其の君を弑す)」


崔杼はまたかと激怒して修正を指示しましたが、弟もそれを拒否したので殺してしまいました。


再び空席になった太史の職についたのは、またその弟でした。

そしてその弟は、公文書にやはりこう記しました。


「崔杼弑君(崔杼、其の君を弑す)」


崔杼はやはり修正するように太史を脅迫しますが、頑なにその態度を変えません。そして崔杼はついに諦めて、そのまま記録を残すことを認めてしまいました。


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この物語は、古代中国人が歴史を記すという行為にかける執念を表す例として、よく語られます。

司馬遷の「史記」や、それよりもっと前の「春秋左氏伝」にも出てくるエピソードです。

公文書とは、今を生きる私たちだけでなく将来世代も含めた国民が共有するかけがえのない知的資源です。

公文書を軽視し、あまつさえ改竄までする現政権の姿勢は、断じて許されるべきではないと国民のひとりとして思います。

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