『辰巳センセイの文学教室』感想

  第8回ネット小説大賞受賞作『辰巳センセイの文学教室』読みました!
 ライトなテイストを入れつつも、本筋はしっかりとしていて読み応えのある作品でした。面白かった点を挙げればキリがないのですが、折角なので面白かった点をまとめてみました。

1.文学は人に寄り添うものだって教えてくれる

 何はなくともまずはこれだと思います。本作は様々な事件や問題が起きるわけですが、それがどこか国語の授業でやっている教材にリンクして、問題の根本を示唆してくれます。そういった示唆が、問題を抱えている人物の力手を取り、前を向く力を与えてくれる、そんなお話です。

 本を読む意味って何ですか?

 その答えは人によってさまざまだと思いますが、私は、本との出会いが人を救う事がある、と考えているタイプの人間です。どうしようもなく悩んでいるときに手に取った一冊の本が、自分の道標になったり、生き方を変えたり、文学にはそういう力があると思います。辰巳センセイには、そういった文学へのリスペクトが、これでもかと詰められている気がします。
 辰巳センセイを読んで特徴的だと思うのは、事件の解決がトリックの看破や問題の解消そのものではない点です。断片的なヒントから、生徒らの心の問題を解きほぐし、そこに光を照らす。背中は押すけど、無理に引っ張ることなく本人の心の成長を促す。読書体験で得る成長そのものだと思います。
 もちろん作品の中では、本そのものが語りかけるわけではなく、辰巳センセイが問題解決の役目を担います。思春期の高校生たちを十分に気遣った解決編は、教育者である作者だからこそ書けるのでしょうか。優しいからこそ、厳しい。そんな辰巳センセイの追加講義は必見です!

2.令和主人公・辰巳祐司

 もう一つ語らないといけない事、それは、辰巳センセイのカッコよさです。エンタメ的な視点で見たとき、辰巳センセイは、今どき流行りの「自分で行ける」主人公で、爽快です。平成主人公は、能はあるけどやる気がない、鈍感だといった感じの無気力系のヒロイン巻き込まれ型なのがメインストリームだったと思います。ヒロインのシンボリック性は辰巳センセイでも存在しますが、辰巳センセイはそんなヒロインの性格に頼ることなく、一人でしっかりと物事を進めて行けるのです。なよった平成主人公とは違い、令和主人公は好きな人は自分で決められるし、告白だってできるんです。辰巳センセイはどこまで令和主人公然としているかは本編を読んでのお楽しみかもしれませんが……

3.必見の終章

 そして、辰巳センセイで一番のおススメは? と聞かれたら私は間髪入れず終章だと答えます。題材は誰もが知っている夏目漱石の「こころ」。こころの講義が徐々に深くなっていくにつれ、物語自体も核心に近付いていく。そして最後の講義で明かされる「こころ」という物語が照らす光。その光が、問題を抱えている人物を救う、そのカタルシスが最高だと思います。



 ちょっとだけ結末のネタバレを入れたおまけ感想




 この結末を読んだとき、私は俺ガイル(ラノベです)の平塚先生の言葉を思い出していました。
「たぶん、君でなくても本当はいいんだ。
 ……
 ただ、私はそれが君だったらいいと思う」
 私はこの言葉が好きで、思春期特有の絶対性や特別視を否定しつつも、高校生が感じるそういった思いをいま大切にすべきだと主張している一文です。
 時間が解決した部分もあるんだと思う。傷を癒せるちょうどいいタイミングで出会ったという偶然もあるんだろう。でも、彼を救った存在が彼女で良かった。上下巻にわたり彼女の一途な思いをずっと見てきて、しみじみと感じました。




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