【コギトの本棚・対談】 サキタハヂメ 最終回
サキタハヂメさんへのインタビュー最終回です。
とうとう、二時間にわたるインタビューに
お付き合いいただきました。
サキタさんのお仕事の一端を垣間見られたでしょうか。
それでは、滋味あふれるお話を、
今回もうかがってみましょう。
(文/構成 いながききよたか)
最終回
~『あかん、今や』みたいなときは、すぐ動く~
―― やり終えた仕事の到達点みないなものは、
どうした時に生まれると思いますか?
サキタ:そうですね、自分としての完成度ももちろんあるし、
自分がどれだけ熱を込めてやったかもあるんだけど、
やっぱりそれを聞いてくれた人が、
次のものを想像できることなんだと思う。
今、自分がやろうとしてることに、
この音楽を作っている人が一緒にやってくれたら、
すこくおもしろいものができるかもしれないと
思ってくれるような、未来を感じれるような作品が
出来た時に、自分は到達点を感じますね。
そういう意味では、『シャキーン』も
『ベム』(※4)もそういう作品だった。
『ベム』は、初めての劇伴やったんです。
映画をやったのも、初めてで、
劇伴ってこんなに大変なんだと思いました。
しんどかったんですけど、しんどいよりも楽しかった。
次へ、次へ、繋がっていく可能性のある作品が
出来ましたから。
まだ撮影が始まる前に、
音楽のデモをざっと作って、
こんなんどうでしょうって、
早めの段階で渡したら、日テレの担当の方々が、
すごい喜んでくださって、
そのサントラを聴きながら、
お話や演出を考えてくれたみたいです。
映画は、そうじゃない作り方やったんですよね。
映画の場合は、画がすでにあって、
何分何秒で作ったりするじゃないですか。
そこは、もはや職人技というか。
ドラマって、このあとどんな演出になるか
わからんのに、先曲作るっていう展開なので、
どっちが現時点で好きかって言うと、
ドラマの作り方が好き。
それより好きなのは、ラジオドラマかな。
ラジオドラマって、
言葉と音だけで世界を表現するでしょ。
僕の音楽って、基本、歌のない、
言葉のない音楽をやってるんですけど、
なにかがないとか、
全部をみせてしまうんじゃなく、
ちょっと足りないもので、
人が想像力を働かせて、
楽しんでくれるっていうものが作りたいから、
なにか足りないものは、好きかな。
なんでもあるからね、今。
―― ちょっと足りないものっていいですね
サキタ:いいよね、ノコギリはボディが足りないんですよ。
その響きを求めるために、
どこにもっていったらいいか、という発想になれる。
―― 作曲家としてのサキタさんと、
ノコギリ演奏家としてのサキタさんで
それぞれ違うのかもしれないですけど、
これから、なにをもくろんでますか?
サキタ:もくろんでることは、
人がやってみたいと思える曲を
書いていきたいということですね。
大友さんの『あまちゃん』じゃないですけど、
ピンときた出会いの中にそれはあると思う。
もちろん、自分のノコギリのための曲は
もっと書いていきたいけど、
いろんな楽器演奏者のために、
お客さんが喜んでもらえるような曲を書きたい。
たとえば、バイオリンやってる子が
この曲は一応やるみたいなそういう曲とか、
思わず、最後、必ず手拍子になるような
そういう曲ですね。
あと今年の五月末から、
ニューヨーク3ヶ月くらい行ってみるんです。
せっかく言葉のない音楽をやっているので、
どこの国の人にも届く可能性があるので、
いろいろ外国には行ってみたいなと思ってます。
―― なんどかお会いして思うんですけど、
いろんな話出てくるなぁって思いながらも、
最後はノコギリ奏者みたいなところに
しゅっと行くっていうところが、
すごいなって思います。
サキタ:人間ってそうですよね、
自分がやってることって、
全部自分一人がやってることやから、
すべて繋がってるやろうし、
自分のやってることがおもろいと思えることを
これからもやっていきたいし
ってところじゃないですか。
自分の境遇に不満を言いながらやるのも、
そら、なくはないと思うんですけど。
鶴瓶さんが、この間言うてたんですよ。
『もう、もめてる時間ないで』と。
いいこと言わはるなあ、確かにそうや。
―― 最後に、生業でありながら、
好きなことでもありというところも踏まえて、
作曲家でありノコギリ演奏家である
サキタさんにとっての仕事哲学があったら
うかがいたいなと思うんです。
サキタ:哲学なぁ、なんだろう……。
今、ふと思うのは、ピンときたものを、
無視しないということかな。
こういう仕事って、
ピンときたんよねっていうことが、
大事やないですか。
世の中でなにがどうなってるとかじゃなくて、
自分自身が、はっと思ったことですね。
『あかん、今や』みたいなときは、すぐ動く。
あと、仕事って、今のこれをやるのも大事やけど、
次に繋がっていくっていうことは
同じくらい大事でしょ。
だから、それかな、今、思うのは。
自分自身がピンときたことを無視しない。
―― それって、けっこう、難しいというか、
サキタ:そうですか?
―― 怠けると、無視しがちになっちゃうんですよね。
でも、それをするってすごい大切だなと思いました。
サキタ:そうやねぇ、
―― それは、クリエイティブでも生業でも、一緒ですよね。
サキタ:一緒ですよ。
もちろん、今すぐにできないことは
多々あると思いますよ。
おととし、ニューヨークに何回か行かしてもうて、
ピンときて、次の年から住もうかなと思って、
いきなり、行ったの。
次の月に家族で行って、家探そう言うて、
いろいろ不動産屋まわってみたんですけど、
『ところでビザとかお持ちですか?』
『え?ビザいりますか?ビザがいったんや、
また、出直してきます』とか、
幼稚園を回って、いろいろ聞いたら、
意外と高いとか、保険がないとか、
医療費がすごい高いとか。
息子にアレルギーがあるので、
もし、アメリカの食材で、アナフィラキシーなると、
大変でしょ。
何度かアナフィラキシーで、
入院させてしまったことがあって、
命に関わることだから、
俺の都合だけで住むのは違う。
それなりに準備が必要でしょ。
だから、いきなり、すぐ出来んこともある。
―― そういうものを大事にしたり、
常に意識しているっていうことが、大事なんですね。
サキタ:僕はね。
みんなそうじゃないかもわかんないけど。
今、ピンときてるから、
オーケストラを頑張って書こうとするし、
今、書いとけば、
あとあと楽になるはずやと思ってやる。
去年までは、こんなにオーケストラ、
書けるとは思わなかった。
でも、今は書けてる。
書き始めたら、いけるやんってことになって、
自分でも、びっくりしたんですよ。
改めて、もっかい譜面見直してみると、
『これ、俺がやったんや』と。
今まで、弦に管がこう重なって
というようなやりかたが、
おぼろげにわかってたけど、
見よう見まねでやってみた事が、
おそらく、次に繋がると思う。
ぎりぎりの綱渡りですけどね。
音大に行ってないということが、
昔はちょっと、コンプレックスだったけど、
そんなふうにして作って行ったら、
多分おもしろいと思ってくれる人が
出てくるやろなと思ってた。実際出て来たんです。
喋り出すと、いっぱいあるけど、
とにかく、それが今の僕。
―― いただきました。ありがとうございました。
サキタ:いいえ、こちらこそ。
―― じゃあ、最後に、
サキタさんの名刺を、撮らせてください。
(※4)『妖怪人間ベム』……昭和43年から
放送されたテレビアニメ。
平成23年には日本テレビで実写ドラマ化。
翌年には実写映画化された。
ドラマ、映画とも音楽はサキタハヂメ。
編集後記
サキタさんのお話は尽きません。
溢れ出る言葉にひきこまれ、約二時間。
その時間は決して長くはありませんでした。
きっと、言葉という媒介では、
日々、感じていることが追いつかないのでしょう。
だからこそ音を奏でているのだと思います。
さらに、突っ込んで言うと、言葉という曖昧なものよりも、
音の確かさを感じているのだと思います。
ノコギリという楽器を手にしたという点に、
僕はサキタさんの、優しいまなざしを見つけました。
インタビューの中にもあったけど、
『ちょっと足らないアイツ』という表現は、
それをはっきりと表しています。
そして、『ちょっと足らないアイツ』という言葉は、
大阪弁の『しゃあないなぁ』という感情に似ていると思います。
この『しゃあないなぁ』は、
好きとか嫌いとかを越えて、
無視できないという感覚に近いかもしれません。
そして、優しくなければ、出てこない発想です。
ノコギリという楽器を弾く作曲家にしか、
表現できない音があると、
サキタさんのお話を聞いて、僕もはっきりとわかりました。
僕らは、おそろしく流れの早い社会に生きることを
余儀なくされています。
おそらく、その激流に身を任せている限り、
仮にピンときたとしても、
立ち止まることができないのではないでしょうか。
本来、ピンと来た時に立ち止まることは
すごくまっとうで普通のことのはずなのに……。
そして、サキタさんは、お気づきかどうかわからないけど、
その『ピン』自身になっています。
ようは、人に『ピン』と来させる存在ということ。
そんなふうに、なれたらいいと心底思うのです。
(おわり)
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