【コギトの本棚・エッセイ】   「1945 香月泰男展」

香月泰男展に行った。練馬区立美術館でやっている。が、あいにく3/27まで、あと三日しかない。巡回するようなので、どこかで見かけたら立ち寄ってもいいかもしれない。
ちなみに、練馬区立美術館は都内でも屈指の美術館だ。個人的には六本木や清澄白河よりも……。

会期中に、戦争が起きたという点でもアクチュアルな展覧会となった。
目玉は作家のライフワークである『シベリア・シリーズ』である。

書き方が難しいが、個人的にはこの作家の作品を手放しに感心するというわけでもない。
美術に関して門外漢なので、専門的なことはわからないが、同美術館で過去に開催された坂本繁二郎の回顧展などよりは見劣りすると思われた。
ただし、初期作の「釣り床」などを見ると、その後はどう展開するのだろうと期待させるものがあった。

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その展開は、戦争によって阻まれこととなる。

香月泰男は、1942年に招集されると、満州に着任し、その地で終戦を迎え、シベリアに抑留された。
復員後、数年おきに、生涯にわたって『シベリア抑留』を題材にした絵画を描き続けた。おそらく、描かざるをえなかった。

この『シベリア抑留』という出来事は、私の祖父も経験したということで、私に繋がる。
香月の場合は、安東で終戦を迎え、捕虜となり北へと移送されたという。
私の祖父は、孫呉で終戦を迎え、捕虜となった。
両者とも同時期にブラゴヴェシチェンスクで抑留生活が始まったという点で繋がっている。
さらに個人的な事を書けば、開拓団の一員だった祖父が抑留中、その妻と娘、そしてそのまだ名前もない母のお腹の中にいる妹……、私から見れば、血のつながらない祖母と、伯母二人ということになるが、満州の開拓村に残された彼女らは逃亡の途上、ハルピン、または奉天で命を落としたという。
このことは、平和な時代しか知らない私に、まったく戦争とは無縁でないのだと常に意識させ続ける。

香月泰男の『シベリア・シリーズ』の中に『1945』という作品がある。
キャンバスを、異様な男性の裸体が左右に貫いている。彼は死んでいる。矩形に抽象化された上半身は、ペインティングナイフで鋭利に放射状にいくつも絵具が削り取られている。それはまさしくナイフの条痕のように見える。
同作は、香月が捕虜となり北上する途上、奉天の近くで見た、線路脇に放り出された屍体だという。中国人たちの私刑で殺された日本人だった。衣服はおろか、生皮まで剥ぎ取られ、全身に赤い筋が走った赤い屍体……。

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(私は、村上春樹の『ねじまき鳥』を思い出した。生皮を剥ぐ描写が同作に出てくるが、決して誇張ではなかったようだ、もしくは、村上もこの『1945』を見たのだろうか)

以下、香月本人が書いた「私のシベリア」という文章から引用する。
『日本に帰ってきて来てから、広島の原爆で真っ黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。そのとき私の頭に、満州で見た、私刑にあい皮を剥がれた赤い屍体が浮かび、赤と黒の二つの屍体は頭の中で重なり合ってくるのだった。一九四五年をあの二つの屍体が語り尽くしている。
黒い屍体によって、日本人は戦争の被害者意識を持つことが出来た。
赤い屍体は、加害者の死としての一九四五年だった。
日本人が中国、満州でずいぶんひどいことをするのも知っていた。
私には、どうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
だが、少なくとも、これだけのことはいえる。戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。戦争の悲劇は、無辜の被害者の受難によりも、加害者にならなければならなかった者により大きいものがある』

この香月泰男の言葉は、ほとんど我が意を得ている。
現在、戦争を、より多くの人が身近に感じているようだ。
また、別の次元で、各所で加害と被害の事象が増幅してもいる。
私は、今までよりも注意深くならないといけない。
いつも被害はよく見え、いつも加害はよく見えないのだ。

(2022/3/25 いながき)

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