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新刊『江戸漢詩の情景(岩波新書)』

 揖斐高先生の新刊『江戸漢詩の情景(岩波書店2022.8.19)』を読了。
 前の文庫版『江戸漢詩選』上下巻の編集の際に書き留められた、謂ふところコロナ閉居中の産物とのことですが、文庫編集の余録といった域を出で、当時の漢詩人の思考と生活とに分け入っての観察記録、多岐にわたる「情景」が綴られた贅沢なエッセイです。
 
 「江戸時代では40歳を過ぎる頃から老年が意識され始め(略)平均寿命は66歳(略)、ということは江戸時代の漢詩人たちにとって老年期は25年ほどもあったことになる。意外にもと言おうか、平均16年ほどの現代人の老年期よりも、江戸時代の漢詩人たちの老年期はむしろ長かった(119p)」のだといひます。
 統計と記録とが各所に記されてゐて、発見や創見に実証的な説得力があるのも特徴です。
 
 私が一番面白く読んだのは「ジキル博士(善)とハイド氏(悪)」の儒者版、自らを「子縁博士(俗)」と「漫甫氏(雅)」との二者に擬へ、両者を破綻させぬよう共存させる様を面白可笑しく自伝(托伝)に仕立ててみせた儒医、村上冬嶺の「二魂伝」の紹介。それから伊勢長島藩の大名儒者、増山雪齋の蟄居中の活動が、志を得ぬ鬱屈を晴らすやうな文学的なものでなく、淡々と熱中することのできる博物学的なものであり、蟄居が解けて再び社交的な趣味サロンの中心人物へと立ち還っていったことを、文献に徴して明らかにしてゆく条りでした。
 江戸時代の窮屈な管理社会で生きざるを得なかった知識人に、今日いふところの「心の防衛機制」がきっちり働いてゐたことに驚くとともに、一方で破綻した人には破綻した人なりに、現代目線で「やっぱりそんな人がいたかぁ。」という感慨を以て、すなはち短気狷介で嫌はれ者だった昌平黌の儒者、平沢旭山が、吉原通ひを知って軟派に転落してゆく様子を尋ねてゐるのも面白い。彼の日記に記された「王様気分」を表す「南面の楽しみ」「南面の王」なる言葉、また妾との房事の印に「梅花」を描いてゐた等、松平定信による「寛政異学の禁」前夜の逸事にも、ニンマリせざるを得ませんでした。(のちに昌平黌から放逐された由)
 全体的に漢詩そのものよりも漢詩人の生き方が主題となってをり、逸話や詩も分かり易いものが多いです。しかしながら「御し易し」とする好事家の読者人用に、ハッとさせる語句や事項がポツポツと挿んであるのも、さきの『江戸漢詩選』の選考基準と同じ。耳慣れぬ熟語や訓みに出会ふたび、精神が涼やかになるのを覚えるのは江戸時代知識人についてのエッセイを読む醍醐味の一つといへるでしょう。当時の漢詩文の学習はどうあったか。『習文録』なる漢文余師というべき自学自習の書物が紹介されてゐますが、その現代版と言うべき『これならわかる復文の要領』といふ独学書が紹介されてゐて、早速図書館に借りにゆきました(笑)。
 さて一般読者に愉しい話題を提供してくれるのは、やはり斯界のスターである頼山陽。数奇な前半生を御存知の方は多いですが、苦労人の彼の、潤筆料は必ず頂くし安売りもせぬ、という姿勢に、私は同様の事を公言して、あくまで詩筆で糊口を凌がうとした四季派詩人の巨擘である三好達治の事が髣髴されました。
 刊行される前の『日本外史』の写本代金が当初、鳩居堂には三両一分(約32万5千円:1万円/両)だったといひます。前半十巻だけならお値打ちに一両一分に、また半年後には三両に値下げして彦根藩に売り込みを図ってをり、仲介を依頼した梁川星巌にはあらかじめ「物など要らんから金で!」と釘を刺しておくところなど、実にちゃっかりしてますし、その妻であった梨影さんが夫の没後、その友人にあてた手紙に、
「私も十九年が間、そばにおり候。誠にふつゝかぶちょうほうに候へども、あとの所のゆいごん、何も何も私にいたし置くれられ、私におきまして誠に誠に有がたく、十九年の間に候へども、あのくらいな人をおつとにもち、其所存なかなかでけぬ事と有りがたく存候(114p)」
と書いてゐるのをみては、なんだか心が熱くなりました。
 
 事程左様に心を打たれのは、『江戸漢詩選』でもそうでしたが、妻やペットを溺愛する漢詩人、一見しかめ面に身を固めてゐるやうに思はれてゐる彼らの日常があれこれ詮索されてゐることでした。
 川路聖謨(としあきら)については、みなもと太郎の幕末マンガ、そして前の大河ドラマ「青天を衝け」でもその人柄を親しく感じてゐましたが、本書にて夫婦間で日記を交換してゐた事実を知りました。文才豊かで胃弱でもあった愛妻に対し
「雲となり雨とはならでげろげろとなるかみさまのあな弱いこと(163p)」
などと、(巫山の夢や、雷と山の神を踏まへた)狂歌を読んで戯れてゐる実像に触れては、更なる人間味を覚えました。
 頼山陽もまた、妻を亡くし哀歌ばかりを書いて悲しんでゐる先輩詩人の大窪詩仏に対し、普通なら憚られるやうな
「真にお力落としに相違なく候はば、詩を作る御気色にもなるまじ。(138p)」
といふ言葉をかけてゐます。気丈な気遣ひ、さすが「人たらし」と言はれる面目が躍如します。


 以上、江戸漢詩のメインストリーム、柏木如亭、梁川星巌、菅茶山ほか「頼山陽人脈」にあった人たちはもとより、石川丈山、林羅山父子といった江戸時代初期からの様々な文化人が話題に上されてをり、当時漢詩を介さぬ知識人はなかった訳ですから、それこそ芭蕉、蕪村を始めとして、江戸漢詩の情景に配される話題には事欠くこと無かるべく、当時の逸文の類ひに創見を加へた第二弾、第三弾の続篇が現今日本漢詩研究の一人者の愉しみとして書き継がれてゆくのを期待したことです。


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