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前田英樹著『保田與重郎の文学』

【紹介文】 前田英樹著『保田與重郎の文学』2023.4 新潮社788ページ
 
 全37章の浩瀚な書物ですが、晩年の萬葉集評釈を導入部として、第1章から9章までは順次、時代を遡りながら書かれてゐます。
 敗戦を前に書き遺された「鳥見のひかり」等の文章を保田與重郎が到達した境地を示したものとして、それ以前の、大伴家持、後鳥羽院、芭蕉に関する著作群を通じて探られた「隠者文人の系譜」、そして江戸後期の国学者たちが『万葉集』『古事記』『延喜式祝詞』において“恢弘”した「皇国観」、これらに一貫するところの「建国の志」が、共感とともに語られてゐます。
 すなはち保田與重郎とは、米作りを基とした祭政一致の意義を闡明し、かけがへのない国振りを祈念し続けた日本最後の文人である──これが本書の結論であり、繰り返し述べられてをります。
 
 そして第10~20章、あらためて彼の文学的出発点からの道行きが説き起こされてゐます。
 皇国史観のおかげで明治維新が成ったのに、以後の文明開化思想と大正教養主義とによって国学者が恢弘した肝心の真意は置き去りにされてしまったのだと著者は説明します。
 その遺風の地であった大和に育った彼が、弁証法ではなくイロニーを舶来の武器にまとひ、当年の文学状況(マルキシズムとモダニズム)に対して「日本浪曼派」を言挙げ、粲然と抗したのが田中克己も参加した『コギト』時代10年間の日々でした。
 日本武尊やナポレオン、和泉式部やゲーテを始めとする古典に現れた、英雄と詩人に手向けられた回想をふんだんに交へ、各批評ごとに詳しく解説がなされてゐます。
 結果どうなったかといへば、戦時翼賛体制がもたらした不戦勝のうちに、上記の「建国の志」に気づき得た彼が、今度は文明開化の結末ともいふべきその体制と対峙することになります。
 権力によって弾圧された幕末志士の義挙を称揚し、『校註祝詞』を私家版として親しい出征兵士たちに配り、挙句の果てに懲罰的な徴兵により死をも覚悟するに至るのです。
 
 第21章からは、戦地からの生還して再起する後半生が語られます。
 殆どの文学者が皇国史観を憑き物のやうに落としてゆくなか、些かも節を枉げることのなかった彼は、新たにインテリゲンチャに取り憑いた共産主義と、社会全体に本格的猛威を振ひ始めた物質万能主義(アメリカニズム)とに対して、警世の筆を地元から振るひます。まさき会祖国社にはじまる信奉者有志のサポートもここで確立しました。
 しかしながら日本は高度経済成長を成し遂げ、彼の「絶対平和論」の理念は無慚に否定されてしまひます。
 世間を説得せんとした情勢論の空しさから去った保田與重郎は以後、隠者文学の系譜に自ら殉ずることを念頭に「安心立命」の生きざまを筆先に確認する晩年を、新居「身余堂」で送ります。
 そしてふたたび結論に返るやうですが、自然(かむながら)の道・日本人の道義といふことを、『現代畸人伝』以降の各連載で著し、かたがた日本浪曼派や三島由紀夫の自決に対する思ひにも触れながら、享年71の全伝を締めくくってゐます。
 
 絡み付くやうな原文を解きほぐすやうにして説かれてゐるのは前著と同様ですが、いまだに保田與重郎のことを認めたくないリベラル文化人からは、非難めいた書評が出ないか心配もされるほどに、この度は郷土の先人として寄り添った書き方ともなってゐます。
 語られる日本の古典・芸術・歴史・遺跡について、私を含め多くの一般読者がどれほど通じてゐるか。或ひは一旦は鵜呑みしないと先を辿ってゆけない彼の反近代の主張に対して、批判がましいことは口にしない著者と共にどこまでついてゆけるでしょうか。冒頭早々に「理智による分析、分類を拒み、突き放す言葉の運動を、保田は「文学」と呼んでいる」と書かれてゐます。
 ただ、生涯を通して渝わることのなかった彼の言説一つひとつに手厚い解説を加へた本ですから、文体や薀蓄を別にして、少なくとも「米作りが続けられる有難さを戴いて、決して欲を掻くでない」といふ日本人ならばだれにもわかる道徳を手綱として読み進んでゆく一冊であるのは確かです。
 
 謂はば入門書としてこれに過ぎるものはない前著『保田與重郎を知る』を童蒙必読の「教科書」とするならば、こちらは手に入れることの困難な教師向きの「指導要領解説書」の如き一冊、あるひは全45冊の陣容を誇る『保田與重郎全集』の詳細な解題であるかと思ひます。(ちなみにこの本が新潮社から刊行されたといふのは、彼を戦後文壇にカムバックさせ遺著(『わが萬葉集』)を刊行した斎藤十三との因縁を感じさせます。)
 そして現今の政権政党が農業を顧みず、国土を利権の犠牲にして憚らない、挙句に移民の奨励まで行ふやうになったさまを前にして、この浩瀚な一冊が一文学者の奇特な志を説くことを越え、グローバリズムに侵された日本に対してあらためて捧げられたある種の遺書、すなはち『校註保田與重郎』と呼ぶべき書物のやうな気持にもさせられたのでした。
 
  一気に隅々まで読みこなせる本ではありません。今後も棟方志功を始めとする装釘で鎮められた原著単行本を手にとる際には該当する章にあたり、書かれてゐるところの「志」に耳を澄ましてゆきたいと思ひます。

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