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恋するポエジイ 1990年8月。

☆8月1日。室生犀星氏の誕生日。氏の生い立ちは人がどのようにして詩人となるかを典型的に示しているように思う。すさんだ少年時代。高等小学校中退。文学をそのはけ口とし。俳句を習い。そして詩の投稿を始める。仕事を転々とし。上京。文学仲間を作り。詩集を出すようになる。中でも萩原朔太郎氏との運命的な邂逅。そう。この運命という事が何よりも重要である。その出会いの場を提供したのが北原白秋氏の雑誌『朱欒』(ザンボア)。わたくしの高校の修学旅行。行先は金沢であった。室生犀星氏の郷里であることを知ったのもその時である。やがて氏は東京の田端で暮らし。その後馬込に移り住む。軽井沢に別荘を持ち。東京と軽井沢を行き来する生活の中で小説を書きまくった。抒情詩という言葉の意味がわたくしにはあまりよく分からない。しかし室生犀星氏の言葉に触れていく内にその輪郭がはっきりしてくるのを感じる。第一詩集『愛の詩集』と第二詩集『抒情小曲集』の自序にそのヒントがある。

☆『抒情小曲集』の自序には《この本をとくに年すくない人人にも読んでもらひたい。私と同じい少年時代の悩ましい人懐こい苛苛しい情念や、美しい希望や、つみなき悪事や、限りない嘆賞や哀憐やの諸諸について、よく考へたり解つてもらひたいやうな気がする》とある。抒情への共感は少年時代の共有にあることを室生犀星氏は云っている。そして《少年時代に感じた季節の変移の鋭い記憶とその感覚の敏活とは、ほんとに何にたとへて言つていいか解らない。まるで「触り角」のある虫のやうに、いつもひりひりとさとり深い魂を有つてゐるものだ》と。少年の鋭敏な感覚なくして抒情の何たるかを掴むのは難しいのかも知れない。例えば《少年のちんぽこが 哀しや日曜の朝の湯に見ゆ しづかに浴かりてあれば。》(「日曜」)や《屋根裏より 手をさしのべてあはれコオヒイを呼ぶ》(「ある日」)といった短詩の何処に情があるかをよく考えて分かりたい。

☆『愛の詩集』の自序には《詩は単なる遊戯でも慰藉でも無く、又、感覚上の快楽でも無い。詩は詩を求める熱情あるよき魂を有つ人にのみ理解される囁きをもつて、恰も神を求め信じる者のみが理解する神の意識と同じい高さで、その人に迫つたり胸や心をかきむしつたり、新しい初初しい力を与へたりするのである》と。詩句を前にした時の人間の態度について反省を促している。信仰心との対比。抒情詩が分かる人には分かるだけの信仰がある。態度の変更がある。詩集『青き魚を釣る人』から詩を二つ。行分けなしで引用する。《きみにわかれくれば月赤し 河岸にかかれば月赤し かりそめにいまは恋ふにはあらず。》(「赤き月」)。カ行の音の連続に気が付く。タイトルは「赤い」ではなく「赤き」である。《ひとすぢに逢ひたさの迫りて 酢のごとく烈しきもの 胸ふかく走りすぐるときなり。雪くると呼ばはるこゑす はやも白くはなりし屋根の上。》(「雪くる前」)。こちらはサ行の音の連続。

☆室生犀星氏における「赤と白」のテーマを「赤き月」と「雪くる前」という作品からわたくしは読み取った。少年時代の利美度。恋心を抑えて抒情詩へと昇華させる詩人の手際を学ぶ思いである。有名な「小景異情」はその一からその六まであるが。その一は冒頭に白魚という言葉を置いている。その六はあんずの蕾を詠う。つまり「白」に始まり「赤」に終わる。ここにも「赤と白」のテーマが流れている。六つの小景を異情としているがすべて悲しみを詠っている。悲しみの種類が異なっているということだろうか。敢えて分類するなら。寂しさ。郷愁。孤独。懺悔。追憶。愛の渇望。となる。情という漢字がいくつかの意味に用いられている日本語の世界にあって。抒情の情に何を当てはめるべきか。例えば感情の情が心であるならば人情の情は気持ちで。愛情や欲情の情にはリビドが隠れている。実情や事情の情は情況や情報の意。そして詩情や風情の情は趣の意である。

☆1916年6月。萩原朔太郎氏と室生犀星氏は詩誌を創刊する。その名も『感情』。『月に吠える』や『愛の詩集』は発行所を感情詩社としている。このことを踏まえるならば少なくともこの二者は抒情の情は感情のことであると考えていた事になるだろう。8月4日。パーシー・ビッシュ・シェリー氏の誕生日。8(パー)4(シー)とは良くできた話である。上田和夫氏訳『シェリー詩集』(新潮文庫)を読む。30年の人生。これほどまでに波乱万丈になるものか。メアリー氏との不倫。バイロン氏との交友。妻の自殺。メアリー氏との結婚。子どもたちの死。旅の途上で船が難破し友人たちと共に溺れて死んだシェリー氏。革命的な言動。壮大な詩群。メアリー氏が彼の遺稿を編纂して後世にのこす。特に印象深い作品が『縛めを解かれたプロミーシュース』である。1818年の9月にバイロン氏の別荘で書き始められ。1819年12月に第4幕まで書き綴られた詩劇。

☆第2幕の「生命の生命」という詩から引用する。《わたしらは「老年」の氷のような洞窟や 「壮年」のくらい荒れ狂う波 「青春」のほほえみいざなう平穏な大海をとおり、幽霊のむらがる「幼年」の ひっそりとした淵をこえ、「死」と「生誕」をさかのぼり、より聖なる日へ──深い森におおわれた楽園 大地に垂れた花に照らされ、水路のうねり流れゆく静かなみどりの曠野、あまりにまばゆく見ることのできぬ そして 見てはやすむ どこかあなたのようなものたちが住み 海のうえを 美しくうたいながら往くところへ──わたしはいそぐ》。生命の生命。あらゆるものの根源。タゴール氏やホイットマン氏の詩句を想起させる。詩人は皆その故郷を胸の奥に抱いている。彼らが戻ろうとした場所へわたくしも帰りたい。魂が解放されるために激しく美しく暴れている。第1幕には《詩人はこの世の幸福をさがし求めず ただ こころの曠野にしばしば現われる 幻の夢のようなくちづけを食べていた》とある。

☆シェリー氏は愛する妻に予言を残している。《この世は わびしい メアリーよ わたしも あなたなしに ひとりさまようのに疲れた よろこびは かつて あなたの声に あなたの微笑みのうちにあった いまはそれも消え やがてはわたしも死ぬであろう メアリーよ》(「メアリー・シェリーに」)。原爆投下の8月だ。人類の頭上に核兵器が使用された事実をじっと見つめている。わたくしはこれまでずっとある感情を押し殺してきた。平和な世界という理想のもとで。世界の国々と仲良く。しかし心にはわだかまりが。あれだけ残酷な事があったのに。赦し合おうと教えられた。ダブルバインドである。爆風がこの胸を吹きぬける。閃光が突き抜けてこの目玉が破裂する。原子爆弾を落としたのはアメリカ合衆国だ。わたくしはアメリカを赦す事ができない。これは恨みの感情だろうか。憎しみの感情だろうか。感情は大地を通って涌き上がってくる。民族と歴史につながっている。愛国心というものとは何かが違う。

☆人間への愚弄が赦せないのだ。終戦から24年経ってわたくしは日本に生まれた。もちろん直接の戦争体験がある訳ではない。しかし事実は消えない。血のつながり。親の世代は戦時下の日本を通って来た。人体は焼きただれている。息ができない。水が飲めない。熱い熱いと叫んでいる。そして戦後45年の現在。平和という気分だけが漂っている。この気分はいつか消えてしまうだろう。気分と感情を再定義したい。英語のムードを気分と訳す場合がある。だとすると気分は感情よりも持続性があることになる。しかしわたくしの定義では気分の方が消えやすい。たとえ感情の方が表出時間は短いとしても。一度生じた感情は記憶と共に断続的に反復する。気分は転換されれば戻って来ることはない。気分は空気に似ている。わたくしたちはそれを呼吸する。文字通り気を分けるという意味もある。それに対して感情はもっと心の奥に根を張っている。それに触れると逆らえないほどの爆発が起こる。

☆例えば気分は「とても悪い」「悪い」「ふつう」「良い」「とても良い」の5段階で答えることができる。それに比べ感情は程度ではなく種類で答えるもの。喜怒哀楽。憂いや虚しさ。渇望や葛藤。愛や憎しみ。好意や嫌悪。そしてそれらはすべて表情と結びつく。そしてその表情を見れば今どのような感情がその人に湧きあがっているかは推察できるのだ。わたくしたちが「今どんな感情ですか」と問わないのはそのためだ。表情や態度を見て判断するのが感情だとすれば。「今どんな気分ですか」と尋ねないと分からないのが気分である。感情は他人から見えるが自分では分からない。逆に。気分は他人から見えないが自分には見えている。気分は良いのに悲しい。気分は悪いけど楽しい。そういう状態は誰にでも訪れる。怒り狂って爽快な気分。泣きじゃくってざまあみろ。感情と気分は別々の因子として心理をかたち作っている。それにもかかわらず感情と気分はしばしば混同されている。

☆日本語においてこれら二つをつないでしまう働きをしている言葉が。気持ち。なのではないか。ある人が怒った顔で怒鳴っている。周りのひとはその人の感情が〈怒〉の状態にあると分かる。しかしその人の気分はその人でないと分からない。にもかかわらず。周囲のひとは君の気持ちは分かるよと云ったりする。感情は見える。気分は見えない。気持ちは分かる。感情と気分と気持ちの三項関係。嫉妬。その感情に本人は気付かない。気分は必ずしも悪くない。周囲はその気持ちを想像できる。殺意。その感情に本人は十分に気付いている。気分はひたすら悪い。周囲はその気持ちが理解できない。人間は心の状態を知りたがる動物である。人間以外の生物は心を読み取る必要がない。本能で天敵が分かる。餌が分かる。交尾の相手が分かる。人間にも本能が残っているのでそこをもっと鍛えれば心を読み取らなくても済むようになるのかも知れない。手がかりはやはり表情である。

☆感情に表情があるのはそれを見せる相手が存在するからだ。笑顔を見せたい相手。哀しい顔を見せたい相手。怒った顔を見せたい相手。気分は必ずしも相手を必要としない。誰もいない場所でさえ自分の心の中がどのような状態であるかを人は知っている。不安。平穏。快適。体温の変化のように気分は変化する。感情に対義語はあるが気分には対義語がない。感情の対義語は理性であると云う。理性的な人と感情的な人という区別。しかし理性とは何か? わたくしには理性の意味がよく分からない。だから感情と理性が対立している場面をイメージできない。感情を抑えるには別の感情を抱かせるしかないのではないか。フロイト氏は自我の中にエスと超自我があると考えた。この場合エスは感情的で超自我は理性的である。しかし本当だろうか。感情は環境によってかき乱されることに抵抗しない。泣いたり笑ったり怒ったりしたいから。変化を楽しんでいると云ってもよい。表情が豊かであることは人間の魅力の一つだ。

☆それに対して気分は環境からの刺激に左右されずいつも安定していることが望まれている。気分がふらつかないで一定であることは大人の条件。気分屋さんはマイナス評価に数えられている。感情と気分と気持ちの三項関係を使えば。理性という言葉を使わずに人間の行為を説明できるかもしれない。8月18日は伝教大師最澄氏の誕生日。日本に天台宗をひろめ。比叡山延暦寺を大乗仏教の戒壇として開いた。同時代の弘法大師空海氏は日本に真言密教をもたらした。最澄氏と空海氏の関係が興味深い。最澄氏は空海氏から密教を学ぶ。その限りでは空海氏の弟子の立場にある。しかし天台宗から見れば法華第一の立場を取らない空海氏は間違っている。さらにもともと最澄氏の弟子であった泰範氏が空海氏の下に行ってしまった。この三角関係。最澄氏が感情で空海氏が気分だとすれば泰範氏は気持ち。感情は気持ちを取り戻そうと何度も試みたが気持ちはとうとう気分のところに留まってしまった。

☆感情は目に見えて言葉にできるから顕教。気分は目に見えないから密教。二つを橋渡ししようとする泰範氏は気持ち。あるいは後の大乗仏教も気持ち。顕教と密教の複雑な絡み合いについては詳しく研究してみたい。三項関係のバリエーションを考えてみる。北原白秋氏が感情で萩原朔太郎氏が気分なら室生犀星氏は気持ちである。感情を読む文芸が川柳。気分を詠む文芸が俳句。気持ちを歌うのが短歌。感情を読む。というのは人間を外から観察して知ろうというアプローチ。気分を詠む。というのは自然から受けた今の自分の気分をそのまま言葉にするアプローチ。気持ちを歌う。というのは感情を読むことと気分を詠むことを橋渡しするアプローチ。こんな事を考えていたら夏休みが半分終わってしまった。8月20日から友人を連れて軽井沢へ。最初の2日間は中学時代の悪友三人と。後から大学の友人たちが合流する予定。暑い東京を離れて涼しい長野へ行けるのはとても嬉しい。

☆8月22日。クロード・アシル・ドビュッシー氏の誕生日。今からちょうど100年前にドビュッシー氏は改名する。「アシル=クロード」を「クロード=アシル」へ。この変換にどのような意味があったのか。軽井沢の別荘にて。友人にピアノを弾いてもらう。ドビュッシー氏のベルガマスク組曲の中の「月の光」。穏やかな気持ちで。他の友人たちも目を閉じてじっと耳を澄ましている。音が光を表わしている。空模様の変化を表わしている。題材はポール・ヴェルレーヌの詩「月の光」。ドビュッシー氏はマラルメ氏のサロンのメンバーでもあったので。その集まりの時に皆で眺めた月の印象からこの曲が生れたものかも知れない。いずれにしても「月の光」は改名した年に作られた。100年変わらぬ同じ月。その光を音で見ることができる喜び。これが音楽の力。ヴェルレーヌ氏の詩も合わせて読みたくなったがあいにく手元になかった。この夏は津村信夫氏の詩集を持参した。代わりにそれをひらく。

☆津村信夫詩集『さらば夏の光りよ』(矢代書店)。35年の短い生涯。死後に編纂されたもの。中の年譜には《私生活上において特色といふべきは、西洋音楽に心酔し、ピアノを主とするレコードを買ひ蒐めたることにしてその乏しき学生の小遣銭の大半を之に投じ、就中ドヴィシイとショパンとモオリス・ラベルを愛好せり》とあった。昭和の初めからドビュッシー氏は人気があったようだ。室生犀星氏や堀辰雄氏がいた軽井沢へ。津村信夫氏や立原道造氏も遊びに来ていた。そこでもきっとピアノの音に耳を傾けていたであろう。津村氏は恋する少女を密かにミルキイ・ウエイと呼んでいたらしい。なかなかオシャレなネーミング。天の川がよくみえる夜空の下に居れば自然とそういう発想になるのかも知れない。わたくしも真似をしよう。恋人ができたらミルキイ・ウエイと呼ぼう。オーマイミルキイウエイ。甘い時間を与えてくれる。素敵な恋人。こんな歌を作ってもいい。

☆8月23日。三好達治氏の誕生日。萩原朔太郎氏を師と仰いだ。室生犀星氏が感情で萩原朔太郎氏が気分であるなら三好達治氏は気持ちとなり新しい三角関係を作ることができる。昼食はスパゲティを茹でてミートソースをかけて食べた。午後はテニス。帰りに買物をして。交代でシャワーを浴び。晩ごはんの準備。肉を焼く。野菜を焼く。トランプで遊ぶ者。ひたすらビールを口にする者。かき氷を頬張るもの。ピアノを触る者。それぞれの夏の時間を楽しんでいる。生まれるという事は世界と出会う事だ。人生と出会う事だ。人間と出会う事だ。ここにいる仲間たちはそれぞれ出会いを果たしたのだ。これが目的だった。それが意味だった。20年生きて何かを悟ってしまった。あとはこの繰返し。地球はひたすら太陽の周りを公転する。きっと1年後も。10年後も。30年後も。変わらぬわたくしがそこに居る。そこ? どこ? そことはここ。永遠にここ。COCO。CO・・・・・CO。

☆24日25日26日と毎晩のように詩の朗読会をひらく。M・マサカズ氏は宮沢賢治氏の「春と修羅」を選んだ。今月27日は賢治さんの誕生日であります。では聴いて下さい。はるとしゅら。めんたるすけっちもでぃふぁい。しんしょうの。はいいろはがねから。あけびのつるは。くもにからまり。のばらのやぶや。ふしょくのしっち。いちめんの。いちめんの。てんごくもよう……。続いてわたくしはゲーテの詩を選んだ。やはり8月生まれの大詩人。28日はゲーテさんの誕生日です。賢治さんの詩にもチプレッセンが出てきましたので。ズライカの書から「千の姿に」を朗読します。せんのすがたにきみはみをひそめもしよう。しかし。いとしいひとよ。ぼくはすぐさまきみをみわける。きみがまほうのべえるにみをつつもうとも。へんざいするひとよ。すぐさまぼくはきみをみわける。ちぷれっせのわかわかしくしじゅんにのびたつさまに。うるわしくおいたったひとよ。すぐさまぼくはきみをみわける……。

☆質問がいくつかあった。チプレッセとは? ドイツ語の糸杉のこと。複数形がチプレッセン。糸杉が何本もある並木道を想像させるために賢治さんはあえてドイツ語で表記したのだと思う。賢治さんの詩はゲーテさんの詩と直接関連があるのか? チプレッセだけではそのように判断することはできない。賢治さんがゲーテさんを知らなかったわけではないから影響はある筈。ゲーテさんの詩は恋愛詩だと思うが賢治さんの詩は何を表わしている? 日記のように心象スケッチを記している賢治さんの事だからその時の心の動きを客観的に記録しようとしたのだと思う。そこへボキャブラリーを駆使して飾ってゆく。油絵のように上塗りしていく。知らない言葉がたくさん出て来る。趣味が良いのか悪いのか。ただとても面白い。このスタイルと感性はとても真似できない。本人はこれを詩とは呼んでいない。詩のような形をした何かである。ただし。音声として聴いているだけでも聴きごたえのある言葉だと思う。

☆わたくしはゲーテ詩集から詩の書き手に必要なアイテムは草花であることを学んだ。特に恋の歌には花が欠かせない。それと同時にスケールの大きさが構造的に必要であることも。時間的な永遠。空間的な宇宙。それはそのまま宮沢賢治氏にも通じる。「千の姿に」の続きを引用しておこう。《噴水が、立ちのぼりつつひろがるとき、たわむれ好きのひとよ、きみがわかってうれしいのだ。雲生まれ、雲の相が変わるとき、変幻自在のひとよ、ぼくはそこにきみを見るのだ。花かざりし紗(うすもの)の草地の氈(かも)に、星ちりばめたひとよ、うつくしいきみをぼくは見分ける。そして千の腕持つ常春藤(きづた)がうでをのばすとき、からみつくひとよ、きみをぼくは知るのだ》(『ドイツ名詩選』岩波文庫。51頁)。この箇所と宮沢賢治氏の「春と修羅」の冒頭はどこか共通している。ゲーテ氏の「ズライカの書」は恋人マリアンネ・フォン・ヴィレマー氏との相聞の歌を集めたものであると云う。

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