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できること

 2024年が明けた元旦の夕方、能登半島に最大震度7の大地震が起こった。

 私自身は丁度その時車に乗っていて、スマホが何やら警報を鳴らしているなと思い、一旦車を停めて初めてその事態を知ったのだが、能登半島からはかなり離れた関西地方であっても停めた車がぐらぐらと揺れるくらい大きな地震であった。

 それから一週間と少しが過ぎたが、未だ余震も続き、被災地の生活はとても危険で厳しい状況が続いている。

 被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 そのような中にあって、新年からの仕事を始めていたところであったのだが、私の職場から、能登半島への支援者の派遣要請があったのだ。

 阪神淡路大震災のときは、あの頃は私もまだ若かったこともあり、募られたボランティアに参加したこともあった。なので、職場からの要請があったときには、これは、と思ったのだけれど、しかし今はしなければいけない仕事もあるし、そのほか諸々の事情があり、私自身が行くのは難しいだろうな、と二の足を踏んでしまったのだ。
 義援金を送るなど、そのようなことで支援をするしかないだろうな、と思った。

 職場で募っても、みんな仕事が忙しくてなかなか行くものはないだろう。そう思いながら出社をし、他のスタッフに希望を聞いてみた(私が聞く役割だったので)。
 すると、すぐに2人のスタッフが、
「行きます!」
と手を挙げてくれたのだ。何のためらいも、、迷いもなく、即答であった。

 若手と中堅のスタッフだった。

 私は少し驚いたとともに、彼らの気持ちと行動力に感動を覚えた。

 それから彼らはすぐに、仕事と日程を調整し、行くことが可能な日を出してくれたのだ。
 聞いてから1時間も経っていなかった。

 二の足を踏んだ自分は反省の念である。自分は一体何に縛られているのだろう。

 今後はまた、自分にできる支援を考え続けていきたい、 そしてできる限りの協力をしなければ、という思いだ。


 最終的に、全体で何人のスタッフが手を挙げたのかはまだ分からないが、現地では約1週間ほど滞在することになる(1週間交替でスタッフが入れ替わり赴くことになる)。

 仕事内容も分からないし、環境ももちろんきついであろうが、行くと言ってくれた彼らには本当に感謝である。




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