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His business
今までなんとなくモヤモヤしていたものについて書きます。一般論と僕の考えというのはあくまで別であるという前提です。他人がどう考えていようと、そのことに僕が何かを言う義理は全くないのです。関係のないことのはずなのですが、どこか引っかかってしまって、それがザラザラと喉元に残っているのでそれを発散させてどうにかしてしまいたいと投げやりな感情になっています。なのでどうせなら投げます。が、読まないでください。死についてです。
その前に、人には人の地獄があると著名人の誰かが言っていました。少なくとも僕とは共感不可能な辛さがあるのだろう、とは思います。それは理解しているつもりです。配慮が足りなかったらすみません。
死にたいと言う言葉があります。僕も使っています。しかしその使い方には、本当に死を見据えたもの、死の手前で絶対にそれ以降に行かないようにブレーキがかかっているものの2つに分けられます。僕は幸いにも前者の意味で使うことはありません。自分でそれを選ぶ勇気がないということもあります。どうせおこるのならば受動的で、願わくば甘美な、恍惚さえ感じてしまうような死であればいいなあとは思います。
彼は後者の態度で前者のようなことを言うのです。それを聞いて、僕は悔しかったのです。ああ、この人は本当に死について考えることがなかった人なのだと。僕がくよくよしている間に、そんなつまらない思索をすることもなく過ごせていたのだと。
来るべき恐ろしきものを前にした時、僕はそこから逃げてしまいたいと思いました。決して、それを望むことはできませんでした。本当の意味でその言葉を使う人の気持ちは、およそ僕のような人間には計り知ることはできないと思います。同じ言葉を使う人の態度として、上記の後者の態度は、むしろ不健全であると言いたかったのです。しかしそう断罪する権利は誰にもなく、僕もここに書き散らすのがせいぜいであるのです。
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