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誰にでも鉱脈は存在する 蘇る「錬金術師」という存在

みなさんは錬金術師という存在を知っているだろうか
言葉にするべくもなく、金というものには価値がある。
その希少性や価値はもとより、何よりもその美しさに魅せられ、人々は古代から金を求めてきた。
あるものは装飾品して、またあるものは資産として。
人類の軌跡は金と共に歩んできたと言ってもいいだろう。
いや、金本位制という言葉が示すように人は金の呪縛から逃れることは出来なかった、というのが正しいのかもしれない。
そんな金の魔力に取り憑かれた人類は、いつしかその魔力を自在にするために研究を重ね始める。
それが錬金術である。
沢山の人間が卑金属から賢者の石を精製せんと意気込んだ。その研究成果は物理学の礎としてさまざまな分野で利用されるようになった。しかし、金自体を作り出す事はついには出来なかった。
これが錬金術の事の顛末である。
無から万物を作る。そんなことは出来るわけがない。
多くの方々はそう思う事でしょう。
しかし、金を作ることは無理でも、その「無」から鉱物を作り上げる。
こんなことが出来るのは、錬金術師と名乗ってもいいのではないでしょうか。

なぜこんな話をしたのかというと、魔女裁判を恐れず言うと僕が錬金術師だからです。
偶然というのはあるかもしれない。誰もが信じてくれないでしょう。
しかし僕は過去に二回も物質の精製に成功しています。
そして、今日もまた。
体が疼く。
指先がチリチリする。
口の中はカラカラだ。
静まれ!体の中の疼痛…!

というわけで病院に行ってきたんですけど、見事に尿管結石の診断を賜りまして今に至ります。
まるでアコヤガイがその身に真珠を宿すように、僕の体の中で日頃の成果が結実した瞬間です。
「私は貝になりたい」という映画がありますが、人は貝になれます。
かれこれ10年ぶり3回目の精製になります。倉敷商みたいですね。
尿管結石というのは痛みの王様とも言われていて、最近病気とは無縁だった僕も無事王政復古。
賢者の石が僕の下腹部に圧政を敷いていきます。
結石には純粋な水分の摂取が一番と言われています。体の循環を良くしてドクターストーンを出そうという魂胆です。今までソフトカツゲンしか飲んで無かった僕も急いで水に切り替えていきます。口の中もカラカラだしね。

しかしながら、この「ひたすら水を飲む」というウォーターボーディングにも似た拷問が厳しいです。人魚の涙が宝石になる、という御伽噺があります。その人魚は宝石目当てで苛烈な拷問を受けてしまうのですが人魚と現在の僕は重なるところがあります。シーマンです。人魚が待ち望まれているのは落涙ですが、僕は落石です。

ひとしきり医者と歓談のあと、飲み薬と坐薬をもらいました。
飲み薬は治療のための薬で、坐薬は痛み止めです。
飲み薬は「ウロカルン」という名前で、パッケージのデザインから「絶対に先っちょから石出してやるぜ」の意気込みが感じられる、中日の岩瀬のような頼もしさを醸し出してくれます。


しかし袋の記述を見て奇妙に思いました。
飲み薬が28錠、そして坐薬が10錠。
数の問題ではありません。
飲み薬は言わずもがな、服薬する錠剤です。
それが「錠」という単位で表されているのは誰しもが頷くところです。
しかし、坐薬の表記がおかしい。
本来、坐薬は服薬ではなく、医薬品を基剤に均等に混和して一定の形状に成型して、体内に適用して体温により溶けるか、軟化するか、又は分泌液で徐々に溶けるもしくは分散されるものです。
要するにおしりの入り口に入れて使うものなのですが、これの数え方を錠として扱うのは誤飲に繋がるのではないかと危惧しています。
そういえばどことなく見た目もフローレットに似ている。
なのでもっと相応しい数え方があると思うわけですね。
あの形、突き上がるようにして人体を上部へと駆け抜け、天を破らんとするバベルの塔のような太々しさ。
なので坐薬の数え方は「一基」が正しいんだと思います。

いかがでしたか?
錬金術師の皆様はこれからも体をご自愛ください。僕の残機は残り9基です。

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